まり廣大な裾野の西のはづれから東のはづれを前景にして次第に高く鋭く聳えて行つた富士山の全體が仰がるるわけである。
 富士山は何處から見ても正面した形で仰がるゝ山であるが、わけてもこの田子の浦からは近く大きく眞正面に仰がるゝ思ひがする。豐かに大地に根ざして中ぞら高く聳えて行つた白麗朗のこの山が恰も自分自身の頭上へ臨んでゐるかの樣な親しさで仰がるゝのである。何の技巧裝飾を加えぬ、創造そのまゝの富士山を見る崇嚴を覺ゆるのである。繪でなく彫刻でなく、また蒔繪や陶器の模樣でない山そのものの富士山を仰ぐことが出來るのである。
 人影とても見當らぬ砂丘の廣みのまんなかに立つて、ぢいつとこの山を仰いでゐると、そゞろに遠い昔の我等の祖先の一人が此處を通りかゝつて詠み出でたといふ古い歌を思ひ出さざるを得ない。
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天地の分れし時ゆ、神さびて高く貫き、駿河なる富士の高嶺を、天の原振りさけ見れば、渡る日の影も隱ろひ、照る月の光も見えず、白雲もいゆき憚り、時じくぞ雪は降りける、語りつぎ言ひつぎ行かむ、富士の高嶺は、
田子の浦ゆうち出でて見れば眞白くぞ富士の高嶺に雪は降りける
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