父に反對しかねて今まで四年間漸く我慢をして來たものの、もうどうしても耐へかねて昨夜學院の寄宿舍を拔けて來た。どうかこれから自分自身の自由な生活が營み度い。それには生來の好きである文學で身を立て度く、中にも歌は子供の時分から何彼と親しんでゐたもので、これを機として精一杯の勉強がしてみたい。誠に突然であるけれど私を此處に置いて、庭の掃除でもさせて呉れ、といふのであつた。
 折々斯うした申込をば受けるので別にそれに動かされはしなかつたが、その言ふ所が眞面目で、そしてよほどの決心をしてゐるらしいのを感ぜぬわけにはゆかなかつた。
『君には兄弟がありますか。』
『いゝえ、私一人なのです。』
『學校はいつ卒業です。』
『來年です。』
『歌をばいつから作つてゐました。』
『いつからと云ふ事もありませんが、これから一生懸命にやる積りです。』
 といふ風の問答を交しながら、どうかしてこの昂奮した、善良な、そしていつこくさうな青年の思ひ立ちを飜へさせようと私は努めた。別に歌に對して特別の憧憬や信念があるわけでなく、唯だ一種の現状破壞が目的であるらしいこの思ひ立ちを矢張り無謀なものと見るほかはなかつたのだ。
 然し、青年はなか/\頑固であつた。永い間考へ拔いて斯うして飛び出して來た以上、どうしても目的を貫きます、先生が許して下さらねばこれから東京へなり何處へなり行きます、と言ひ張つてゐる。
 私は彼を散歩に誘うた。初めはほんのかりそめごとにしか考へなかつたのだが、あまりに彼の本氣なのを見ると次第にこちらも本氣になつて來た。そしていろ/\自宅の事情を聞き、彼の性質をも見てゐると、どうしても彼を此處で引き止めねばならぬ氣になつて來た。氣持を變へるため、散歩をしながら若し機會があつたら徐ろにそれを説かうと、出澁ぶるのを無理に連れだつて、わざと遠く千本濱の方へ出かけて行つた。
 其處に行くのは私自身實に久しぶりであつた。松原の中に入つてゆくと、もう秋といふより冬に近い靜けさがその小松老松の間に漂うてゐた。海も珍しく凪いでゐた。入江を越えた向うには伊豆が豐かに横はり、炭燒らしい煙が二三ヶ所にも其處の山から立昇つてゐるのが見えた。
 砂のこまかな波打際に坐つて、永い間、京都のこと、其處の古い寺々のこと、歌のこと、地震のこと、それとはなしにまた彼の一身のことなどを話してゐるうちに、いつか上げ潮に變つたと
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