る。多くはたゞ其處に置かれてあるとだけにぼんやりと生きてゐるので、オヤオヤこれが自分か、これが眞實の自分かと自分の姿に對して眼を見張る人すらも少ない樣に思はれてならない。
それに反して歌を求むる心のうちには多少とも確に自分自身といふものに氣づいてゐる心が動いてゐるのを感ずる。また、何か知ら自分の思つてゐることを言ひ現はしてみたいといふ心の下には必ずその「自分」といふものが動いてゐねばならぬ筈である。
斯くして漸く自分といふものゝあるのを知る。さうして其處に見出でた唯一無二の自分といふものに對して次第に親しみを感じ始めるのはこれは自然である。親しみを感ずると共にその自分を一層濁りのないものに、美しいものに、深い大きいものに進めてゆきたい心の起るのもまた自然であるといはねばならぬ。
一首々々と拙い歌を作り重ねて行きつゝあることは、要するにこの自分といふものをもつとよく知らう、もつとよくしようといふねがひから出てゐる樣に私には思はるゝのである。斯ういふ風に言つて來るといかにも概念的に理窟つぽく聞えるのを思ふが、實は無自覺ながらに自づとさういふ傾向をとつて來てゐる樣に思はれてならないので
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