見て一時當惑した私はすぐそれを可愛がつてゐる蟻に與へようと思つた。離室《はなれ》になつてゐる私の書齋の石段には、常に三四種類の蟻が來て餌をあさつてゐた。眼にも入らぬ埃の樣な追ふにも追はれぬ小さな薄赤い蟻はよく机から本箱の隅までも這ひよつて來た。ぶつぶつ胴體が三つに區切れて長さ七八分から一寸にも及ぶ大きな黒蟻もよく机のめぐりにやつて來て私を驚かした。常に鋭く尻を押つ立てて歩くやゝ小さな黒蟻は好んで人を螫《さ》し、またこれに螫されると必ず二三日脹れて痛かつた。これ等のほかに、長さ一分ほどのほつそりした赤黒い蟻がゐた。この蟻は部屋にも上らず、どうかして着物に附いても容易に螫すことをしなかつた。で、私は餌さへあればこの見たところも他よりは可愛い蟻に與へるのを樂しみとしてゐた。
降りこめられてゐたあとの日和で、三段になつた石段にありとあらゆる蟻が出揃つて駈け※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つてゐた。辛うじてその中に私の目指す蟻の一疋を見出した私は、その忙しげに歩いてゆく鼻先に虻の死骸を置いた。考へ深さうにその大きな餌のめぐりを一周した彼女は、くるりと向を變へると恐しい速力で或る方角へ駈けだした。思ひがけぬこの大收獲を報告し、少しも速く巣へ運搬するためにその仲間を呼びに走つたのである。
報告に行つた留守の間に他の蟻の族が幾度となくその周圍にやつて來た。私は力めてそれらを餌に近附けさせぬ樣に用心した。この日の私の疲れた心はさうした場合に當然起る兩方の蟻の間の爭鬪を見るのがいやであつた。やがて、一つの石段の角の所からいまの一疋と思はれるのが姿を出した。と見ると、そのあとに引續いてぞろ/\ぞろ/\と長い列を作つてうねる樣にその仲間がやつて來た。
やれ/\と私も微笑しながら其處を離れた。そしてそのまゝ茶の間に行つて夙くに時間の過ぎて居る藥を一服飮んで來た。再び離室に歸つて机に向はうとしながら一寸その石段を覗いて見て驚いた。ほんの僅かの間に、其處には既《も》う私の見るを厭つた大爭鬪が石段の半ば以上に亙つて開かれてゐた。埃の樣な赤い小蟻、尻を立てた黒蟻、それに最初から餌を運んでゐた蟻、この三種族が眞黒になつて虻の死骸を中に噛み爭つてゐるのである。むらむらと湧いた肝癪《かんしやく》から私はまだ其儘《そのまま》其處に在つた蠅叩きを取るや否や、ぴしやり[#「ぴしやり」に傍点]とそ
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