ひ出されて來て、斯う書いてゐながらも何處やらにそれらの鳥のそれぞれの寂しい聲の聞えてゐるのを感ずるのだ。まつたく若葉のころの山にはいろ/\な鳥が啼く。しかも何處にか似通つた韻律を持ち、その韻律の中にはまた同じ樣な寂しさが含まれてゐるのを思ふ。杜鵑、駒鳥は鋭くて錆び、郭公、筒鳥、呼子鳥、山鳩のたぐひはすべて圓みを帶びた聲の、しかも消しがたい寂しさをその啼聲の底に湛へてゐる鳥である。筒鳥と呼子鳥とは同じものだといふ人もあるが、よく聞くと矢張り違ふ。筒鳥は大きく、呼子鳥の聲は小さい。初め私はこれを親鳥雛鳥のちがひだと思うたが、耳を澄ませば確かに違つて居る。筒鳥は大きく、呼子鳥は小さい。一は晝間の日の光りかがよふ溪間によく、一は日暮方の木立の奧に聞くべき鳥である。杜鵑は空を横切る姿がよく、思はずも聞きつけたその一聲二聲が甚だいゝ。續けば或は耳につくかも知れない。郭公のたぐひには私は終日耳を傾けてなほ飽きない。
それらの鳥を最も多く聞いたのは山城の比叡山々中の古寺に泊つてゐた時であつた。彼處は全山が寺領で、それこそ空を掩ふ大きな杉がぎつちりと生ひ茂り、銃獵を許さぬのであゝまで鳥が多いのだらうと
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