である。これは『みなかみ』の奔放緊張は急に影を消していかにも懶《ものう》い寂寥が代つて現れて居る。この本は友人郡山幸男君の經營してゐた新聲社といふのから出したのであつたが、程なく閉店したゝめ、同君の手により他の何とかいふ本屋の手にその紙型は渡つて今でも其處から出版されてゐるさうである。散文集『牧水歌話』も亦た同樣であつた。
『秋風の歌』で見るべきは、最初『海の聲』あたりから『路上』に及ぶまで殆んど感傷一方で詠んで來たものが『死か藝術か』に及んで(その名の示すが如く)多少の思索味を加へて來、『みなかみ』で一層その熱を加へてやがて本書に及んでるのであるが、これには熱叫するといふ樣なところがなく、たゞ在るがままの自分を見詰めて歌つてゐるといふ形に表れてゐる事などであらう。
大塚窪町に住んでゐる間に妻が病氣になつた。轉地を要するといふので相模の三浦半島に移り住んだ。大正三年の二月末であつた。そして其處で詠んだものを輯めたのが『砂丘』である。これにはいかにも物蔭に隱れて勞れを休めてゐるといふ樣な、か弱い感傷から詠まれたものが大部分を占めて居る。春の末から夏にかけての景象を歌つたものが多く、いは
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