を始め、案外にも失敗して困つてゐた頃太田水穗さんの紹介でその店から出すことになつたのであつた。これには珍しく油繪の口繪が入つてゐる。私の歌集に肖像寫眞以外斯うした口繪の入つてゐるのはこの一册だけである。この口繪に就いて思ひ出す。出版する少し前に山本鼎君と一緒に數日間下總の市川に遊びに行つてゐた。或日同君が江戸川べりの榛《はん》の若芽を寫生すると云つて畫布を持ち出したのについて行き、その描かれるのを見てゐるうちに私は草原に眠つてしまつた。それを見た同君は急に榛の木をやめて眠つてゐる私を寫生してしまつた。サテ東京へ引上げようとなつて宿屋の拂ひが足りず、その繪を其處に置いて歸つた。それを博信堂の主人と共に幾らかの金を持つて出懸けて受取つて來て三色版にしたのであつた。原畫は私が持つてゐたのだが、富田碎花君がいつしか持ち出し、それをまたその愛人だかゞ持ち出し、思ひがけない何處か長崎あたりへ行つてゐるといふ話をあとで聞いた。
『死か藝術か』に就いても思ひ出がある。喜志子と初めて同棲して新宿の遊女屋の間の或る酒屋の二階を借りてひつそりと住んでゐた。その頃彼女は遊女たちの着物などを縫つて暮してゐたので
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