して出來るだけの宣傳に努める事を約して歸つて來た。社友にも同感の人が少くないと思ふ。若し一人々々の力の及ぶ範圍に於てこれを實地に行つて頂けば幸である。
全國社友大會の適宜な場合に渡邊翁に音頭をとつていたゞいて先づその最初を試み度く思ふ。
梅咲くころ。
今年は梅がたいへんに遲かつた。
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きさらぎは梅咲くころは年ごとにわれのこころのさびしかる月
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私はちらりほらりと梅の綻《ほころ》びそめるころになると毎年何とも言へない寂しい氣持になつて來るのが癖だ。それと共に氣持も落着く。
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好かざりし梅の白きを好きそめぬわが二十五の春のさびしさ
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この一首が恐らく私にとつて梅の歌の出來た最初であつたらう。房州の布良《めら》に行つてゐた時の詠である。
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年ごとにする驚きよさびしさよ梅の初花をけふ見つけたり
うめ咲けばわがきその日もけふの日もなべてさびしく見えわたるかな
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これらは『砂丘』に載つてゐるので、私の三十歳ころのものである。
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うめの花はつはつ咲けるきさらぎはものぞおちゐぬわれのこころに
梅の花さかり久しみ下|褪《あ》せつ雪降りつまばかなしかるらむ
梅の花褪するいたみて白雪の降れよと待つに雨降りにけり
うめの花あせつつさきて如月《きさらぎ》はゆめのごとくになか過ぎにけり
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これらはその次の集『朝の歌』に出てゐる。
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梅の木のつぼみそめたる庭の隈に出でて立てればさびしさ覺ゆ
梅のはな枝にしらじら咲きそめてつめたき春となりにけるかな
うめの花紙屑めきて枝に見ゆわれのこころのこのごろに似て
褪《あ》せ褪《あ》せてなほ散りやらぬ白梅のはなもこのごろうとまれなくに
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その次『白梅集』には斯うした風にこの花を歌つたものがなほ多い。
昨年はことに梅を詠んだものが多かつた。ほめ讚へたものもあつたが、矢張り淋しみ仰いだものが多かつた。
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春はやく咲き出でし花のしらうめの褪せゆく頃ぞわびしかりける
花のうちにさかり久しといふうめのさけるすがたのあはれなるかも
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ところが今年はまだ一首もこの花の歌を作らない。もう二月も末、恐らくこの儘《まま》に過ぎてしまふ事であらう。朝夕の惶しさがこの靜かな花に向ふ事を許さぬのである。
その三
『山櫻の歌』が出た。私にとつて第十四册目の歌集に當る。
此處にその十四册の名を出版した順序によつて擧げて見よう。
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海の聲 (明治四十一年七月) 生命社
獨り歌へる (同 四十三年一月) 八少女會
別離 (同 年四月) 東雲堂
路上 (同 四十四年九月) 博信堂
死か藝術か (大正 元年九月) 東雲堂
みなかみ (同 二年九月) 籾山書店
秋風の歌 (同 三年四月) 新聲社
砂丘 (同 四年十月) 博信堂
朝の歌 (同 五年六月) 天弦堂
白梅集 (同 六年八月) 抒情詩社
寂しき樹木 (同 七年七月) 南光書院
溪谷集 (同 七年五月) 東雲堂
くろ土 (同 十年三月) 新潮社
山櫻の歌 (同 十二年五月) 新潮社
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となるわけである。この間に『秋風の歌』まで七歌集の中から千首ほどを自選して一册に輯めた
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行人行歌 (大正 四年四月) 植竹書院
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があつたが間もなく絶版になり、同じく最初より第九集『朝の歌』までから千首を拔いた
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若山牧水集 (大正 五年十一月) 新潮社
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との二册がある。
處女歌集『海の聲』出版當時のいきさつをばツイ二三ヶ月前の『短歌雜誌』に書いておいたから此處には略《はぶ》くが、思ひがけない人が突然に現はれて來てその人に同書の出版を勸められ、中途でその人がまた突如として居なくなつたゝめ自然自費出版の形になり、金に苦しみながら辛うじて世に出したものであつた。私が早稻田大學を卒業する間際の事であつた。
『獨り歌へる』は當時名古屋の熱田から『八少女』といふ歌の雜誌を出して中央地方を兼ね相當に幅を利かしてゐた一團の人たちがあつた。今は大方四散して歌をもやめてしまつた樣だが、鷲野飛燕、同和歌子夫妻などはその頃から重だつた人であつた。その八少女會から出版する事になり、豫約の形でたしか二百部だけを印刷したものであつた。形を
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