くその消滅を計り度い。心から好きなら飮むもよろしい。何を苦しんでかこれを稽古することがあらう。一度習慣となるとなか/\止められない。そしてだらしのない、いやアな酒のみになつてしまふのだ。
全國社友大會の近づく際、特にこれらの言をなす所以《ゆゑん》である。
旅さきでのたべものゝ話。
折角遠方から來たといふので、たいへんな御馳走になることがある、おほくこれは田舍での話であるが。
これもたゞ恐縮するにすぎぬ場合がおほい。酒のみは多く肴をとらぬものである。もつとも獨酌の場合には肴でもないと何がなしに淋しいといふこともあるが、誰か相手があつて呉れゝばおほくの場合それほど御馳走はほしくないものである。
念のために此處に私の好きなものを書いて見ると、土地の名物は別として、先づとろゝ汁である。これはちひさい時から好きであつた。それから川魚のとれる處ならば川魚がたべたい。鮎、いはな、やまめなどあらばこの上なし。鮒《ふな》、鮠《はや》、鯉、うぐひ、鰻、何でも結構である。一體に私は海のものより川の魚が好きだ。但しこれは海のものよりたべる機會が少ないからかも知れない。
それから蕎麥《そば》、夏ならばそうめん。芋大根の類、寒い時なら湯豆腐、香のものもうまいものだ。土地々々の風味の出てゐるのはこの香の物が一番の樣に思ふがどうだらう。
田舍に生れ、貧乏で育つて來た故、餘り眼ざましい御馳走を竝べられると膽が冷えて、食慾を失ふおそれがある。まことに勿體《もつたい》ない。ないがしろにされるのは無論いやだが、徒らに氣の毒なおもひをさせられるのも心苦しい。
飯の時には炊きたてのに、なま卵があれば結構である。それに朝ならば味噌汁。
その二
女人の歌。
『どうも女流の歌をば多く採りすぎていかん、もう少し削らうか。』
と私が言へば、そばにゐた人のいふ。
『およしなさいよ、女の人のさかりは短いんだから。』
いやさかと萬歳。
『十分ばかりお話がしたいが、いま、おひまだらうか。』
といふ使が隣家から來た。
ちやうど縁側に出て子供と遊んでゐたので、
『いゝや、ひまです。』
とそのまゝ私の方から隣家へ出かけて行つた、隣家とは後備陸軍少將渡邊翁の邸の事である。土地の名望家として聞え、沼津ではたゞ「閣下」とだけで通つてゐる。私を訪ぬるために沼津驛で下車した人が若し驛前の俥に乘るならば、
「閣下の隣まで」
と言へば恐らく默つて私の家まで引いて來るであらう。首から上に六箇所の傷痕を持つ老將軍である。
翁の私に話したいといふ事は「いやさか」と「萬歳」とに就いてゞあつた。日本で何か事のある時大勢して唱和する祝ひの聲はおほよそ「萬歳」に限られてゐる。第一これは外國語であり、而かもその外國語にしても漢音呉音の差により一は「バンゼイ」と發音さるべく、一は「マンザイ」と發音されねばならぬのにかゝはらず、現在の「バンザイ」ではどちらつかずの鵺語《ぬえご》となつてゐる。ことにその語音が尻すぼまりになつて、つまり「バンザイ」の「イ」が閉口音になつてゐるために、陰《いん》の氣を帶びてゐる。めでたき[#「めでたき」は底本では「めだたき」]席に於て祝福の意味を以て唱和さるべき種類のものとしてはどの點から考へても不適當であるといふのである。
それも他に恰好《かつかう》な言葉が無いのならば止むを得ないが、わが國固有の言葉として斯る場合に最もふさはしい一語がある。即ち「いやさか」である。「彌榮《いやさか》え」の意である。これは最初を、「イ」と口を緊《し》めておいて、やがて徐ろに明るく大きく「ヤサ、カァ」と開き上げて行く。
どうかして「萬歳」の代りにこの「いやさか」を擴め度い、聞けば君は世にひろく事をなしてゐる人ださうだから、君の手によつてこれを行つて貰ひ度い、それをいま頼みに行かうと思つてゐたのだ、と翁は語られた。
これは筧《かけひ》克彦博士が初めて發議せられたものであつたとおもふ。翁もさう言はれた。そして翁は多年機會あるごとにこの實地宣傳を試みられつゝあるのださうだ。
何かで筧博士のこの説を見た時、私は面白いと思つたのであつた。端なくまた斯ういふところで思ひがけない人からこの話を聞いて、再び面白いと思つた。然し、一方は口馴れてゐるせゐか容易に呼び擧げられるが、頭で考へる「い、や、さ、か」の發音は何となく角ばつてゐて呼びにくいおもひがした。その事を翁に言ふと、翁は言下に姿勢を正して、おもひのほかの大きな聲で、その實際を示された。思はず額を上ぐるほどの、實に氣持のいゝものであつた。
「いッ」と先づ脣と咽喉と下腹とを緊め固めて、一種氣合をかける心持で、そして徐ろに次に及び、最後の「かァ」で再び腹に力を入れて高々と叫び上げるのださうである。
私は悉く贊成して、そ
前へ
次へ
全6ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
若山 牧水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング