、丁度干潟になつた其處に何やら蠢《うごめ》くものがある。よく見ると、飯蛸《いひだこ》だ。一つ、二つ、やがては五つも六つも眼に入つて來た。それを眺めながら、私は懶《ものう》く或る事を考へてゐた。父危篤の電報に呼び返さるゝ數日前に私は結婚してゐた。一軒の家でなく、僅か一室の間借をして暮してゐたので、私の郷里滯在が長引くらしいのを見ると、妻も東京を引きあげて郷里の信州に歸つてゐた。そして其處で我等の長男を産んでゐた。私が今度東京に出るとなると、早速彼等を呼び寄せなくてはならぬ。要るものは金である。その金の事を考へてゐるうちに見つけたのが飯蛸であつた。そして可愛ゆげに彼等の遊び戲れてゐるのに見入りながら、不圖《ふと》一つの方法を考へた。一年あまりの郷里滯在中は初めから終りまで私にとつては居づらい苦しい事ばかりであつた。どうかしてそれを紛らすために、いつか私は夢中になつて歌を作つてゐた。その歌が隨分になつてゐる筈だ。それを一つ取り纒《まと》めて一册の本にして多少の金を作りませう、と。
 括《くく》つたまゝ別莊の玄關にころがしてあつた柳行李を解いて、私はその底から二三册のノートを取り出した。そして
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