いふ村があつた。十四五軒の家がばらばらに立つてゐるといふ風な村であつたが、その中の三四軒で、男とも女ともつかぬ風態をした人たちが大きな竈に火を焚いてせつせと稗を蒸してゐた。
 越後境に近い山の中に在る法師温泉といふへ、上州の沼田町から八九里の道を歩いて登つて行つたことがある。もう日暮時で、人里たえた山腹の道を寒さに慄へながら急いでゐると不意に道上で人の咳《しはぶ》く聲を聞いた。非常に驚いて振仰ぐと、畑ともつかぬ畑で頻りと何やら眞青な葉を摘んでゐる。よく見ればそれは煙草[#「煙草」は底本では「煙葉」]の葉であつた。
 下野に近い片品川の上流に沿うた高原を歩いた時、その邊の桑の木は普通の樣に年々その根から刈り取ることをせず、育つがまゝに育たせた老木として置いてある事を知つた。だから桑の畑と云つても實は桑の林と云つた觀があつた。その桑の根がたの土をならしてすべて大豆が作つてあつた。すつかり葉の落ちつくした桑の老木の、多い幹も枝も空洞になつてゐる樣なのゝ連つた下にかゞんでぼつ/\と枯れた大豆を引いてゐる人の姿は、何とも言へぬ寂しい形に眺められた。
 今度通つた念場が原野邊山が原から千曲の谷秩父の谷、すべて大根引《だいこんびき》のさかりであつた。枯れつくした落葉松林の中を飽きはてながら歩いてゐると、不意に眞青なものゝ生えてゐる原に出る。見れば大根だ。馬が居り、人が居る。或日立寄つた茶店の老婆たちの話し合つてゐるのを聞けば今年は百貫目十圓の相場で、誰は何百貫賣つたさうだ、何處其處の馬はえらく痩せたが喰はせるものを惜しむからだ、といふ樣なことであつた。永い冬ごもりに人馬とも全くこの大根ばかり喰べてゐるらしい。
 都會のことは知らない、土に噛り着いて生きてゐる樣な斯うした田舍で、食ふために人間の働いてゐる姿は、時々私をして涙を覺えしめずにはおかぬことがある。
 草鞋の話が飛んだ所へ來た。これでやめる。



底本:「若山牧水全集 第七卷」雄鷄社
   1958(昭和33)年11月30日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柴 武志
校正:浅原庸子
2001年4月4日公開
2005年11月9日修正
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