いふ風に、脊を延ばして初めて氣味の惡い微笑を漏らしながら、左樣《さう》でせう、確かに左樣だらうと思つた、サ、何卒《どうぞ》お二階にお上り下さい、實は東京からあなたを探《たづ》ねていらした方があるのです、と言ふ。今度は私の方で驚いた。そして思はず立ち上つた。
「え、誰だ、何といふんです、……僕は若山と云ふのだが。」
「へゝえ、誰方《どなた》ですか、もう直ぐこれへ歸つておいでになりますで、……實はあなたを探して一先づ瀧の方へおいでになりましたので、もう直ぐこれへお歸りで御座いますから、まア、どうぞお二階へ。」
といふ。
この正月の事であつた、私は伊豆の東海岸を旅行して二日の夜に或る温泉場へ泊つた。すると、同じその夜、その土地の、同じ宿屋の、しかも私と襖一重距てた室へ私の友人の一人が泊り合せて、さうして二人ともそれを知らずに、翌日それ/″\分れ去つた事があつたのだ。この番頭らしい怪しき男の今までの話を聞いてゐて、端なく思ひ出したのはその事である。そして私がこの頃この熊野を通つて、奈智へ登るといふ事は東京あたりの親しい者の間には前から知れてゐた事實である。誰か氣まぐれに後から追つて來て、今
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