そのまま》捨てておくわけにゆかぬ、村の青年會は此頃殆んどその用事のみに働いてゐる位ゐだ、況《ま》して斯ういふ田植時にでも飛び込まれやうものならそれこそ泣顏《なきづら》に蜂だ、といふ風のことをわざとらしい高聲で話してゐるのだ。續いて近頃飛んだそれぞれの人の話が出た。大阪の藝者とその情夫、和歌山の呉服屋、これはまた何のつもりで飛んだか、附近の某村の漁師、とそれ/″\自殺の理由などまで語り出される頃は馬車の内外とも少からぬ緊張を帶びて來た。今まで私と同じくただ默つて聞いてゐた老人まで極めて眞面目な顏をして斯ういふ事を言ひ出した、人が自分から死ぬといふのは多くは魔に憑《つ》かれてやる事だ、だから見る人の眼で見るとさうした人の背後に隨いてゐる死靈の影がありありと解るものだ、と。
私は次第に苦笑の心持から離れて氣味が惡くなつて來た。何だか私自身の側にその死神でも密著《くつつ》いてゐる樣で、雨に濡れた五體が今更にうす寒くなつて來た。をり/\私の顏を竊《ぬす》み見する人たちの眼にも今までと違つた眞劍さが見えて來た樣だ。濡れそぼたれて斯うして坐つてゐる男の影が彼等の眼にほんとにどう映つてゐるであらうと思ふと、私自身笑ふにも笑はれぬ氣がして來たのである。
氣がつけば道は次第に登り坂になつてゐた。雨は幾らか小降りになつたが、心あての方角を望んでも唯だ眞白な雲が閉してゐるのみで、山の影すら仰がれない。小降りになつたを幸ひに出て來たのだらう、今まで氣のつかなかつた田植の人たちが其處等の段々田に澤山見えて來た。所によつては夏蜜柑の畑が見えて、黄色に染つた大きな果實が枝のさきに重さうに垂れてゐる。
程なく馬車は停つた。やれ/\と思ひながら眞先きに飛び降りると、成程いかにも木深い山がツイ眼の前に聳えて居る。瀧の姿は見えないが、そのまま山に入り込んでゐる大きな道が正しくその方角についてゐるものと思はれたので、私は賃金を渡すと直ぐ大股に歩き始めた。すると、他の客の賃金を受取るのもそこ/\にして馬車屋が直ぐ私のあとに隨いて來た。
「何處へ行くんだ?」
私は訊いた。
「へへえ、瀧まで御案内致します。」
「いいよ、僕は一人で行ける。」
「へへえ、でもこの雨で道がお危うございますから……」
「大丈夫だ、山道には馴れてる。」
「それでも……」
「オイ、隨いて來ても案内料は出さないよ。」
「いいえ、滅相な、案内料などは……」
勝手にしろ、と私も諦めて其儘急いだ。が、たうとう埓もない事になつたと思ふと、もう山の姿も雲のたたずまひも眼には入らず、折角永年あこがれてゐたその山に來ても、半ば無意識に唯だ脚を急がせるのみであつた。
「見えます、彼處に。」
馬車屋の聲に思はず首を上げて見ると、いかにも眞黒に茂つた山の間にその瀧が見えて來た。流石に大きい。落口は唯だ氷つた樣に眞白で、ややに水の動く樣が見え、下の方に行けば次第に廣くなつて霧の樣に煙つてゐる。われともなく私は感嘆の聲をあげた。そして側の馬車屋に初めて普通の、人間らしい聲をかけた。
「何丈あるとか云つたネ、あの高さは?」
「八十丈と云つてゐますが、實際は四十八丈だとか云ひます。」
「なアるほど、あいつに飛んだのでは骨も粉もなくなるわけだ。」
言ひながら、私は大きな聲を出して笑つた、胸の透く樣な、眞實に何年ぶりかに笑ふ樣な氣持をしながら。
その瀧の下に出るにはそれから十分とはかからなかつた。凄く轟く水の音をツイ頭の上に聞きながら深い暗い杉の木立の下を通ると、兩側に澤山大小の石が積み重ねてある。馬車屋はそれを指して、みな瀧に飛んだ人の供養のためだと云ふ。
「では一つ僕も積んで置くかナ。」
また大きな聲で笑つたが、その聲はもう殆んど瀧のために奪はれてゐた。
瀧を眞下から正面に見る樣な處に小屋がけがしてあつて、其處から仰ぐ樣になつてゐる。平常《いつも》は茶店なども出てゐるらしいが、今日は雨で誰も出てゐない。二三日來の雨で、瀧は夥しく増水してゐるのだ相だ。大粒の飛沫が冷かに颯々と面を撲つ。ぢいつと佇んで見上げてゐると、唯だ一面に白々と落ち下つてゐる樣で、實は團々になつた大きな水の塊が後から後からと重り合つて落ちて來てゐるのである。時には岩を裂く樣に鋭く近く、時には遠く渡つてゆく風の樣なその響に包まれながら、茫然見て居れば次第に山全體が動き出しても來る樣で、言ひ難い冷氣が身に傅はつて來る。
「これで、瀧壺まではまだ二丁からあります。」
同じくぼんやりと側に添うて立つてゐた馬車屋はいふ。それを聞くと私の心には一つの惡戲氣が浮いて來た、私が其處まで行くとするとこの馬車屋奴はどうするであらうと。
私は裾を高々と端折つて下駄を脱ぎ洋傘《かうもり》をも其處に置いて瀧壺の方へ岩道を攀《よ》ぢ始めた。案の如く彼は一寸でも私の側か
前へ
次へ
全7ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
若山 牧水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング