さうだが、その設計は乃公《おれ》がしてやるから一切任せろ、といふ文面です。いふまでもなく村井建築技師から來たもので、わたしも大いに嬉しくなり、それまでの腹案をば捨てて、難有《ありがた》い、一切頼むと返事しました。彼とはその後、中學をも同級で過し、東京の學校に來る時も一緒でした。
そして、彼は建築學の方の學校を卒業し、わたしは文學の方を出ました。お互ひにのんき者[#「のんき者」に傍点]のことで、學校を出るなり音信不通の有樣で、右の手紙など恐らく十五六年目に見た彼の手蹟であつたのです。
彼は早速東京からやつて來ました。そして敷地を見、大體の設計をし、愈々工事にかゝつてからも忙しい中を、一週間に一度位ゐづつこの沼津へ通つて來ては、大工たちに種々と注意してゐました。そして家ができ上つた祝ひの席にも來てくれました。その時わたしが、
『村井君、せめて汽車賃位ゐ出さないと僕もきまりが惡いが……』といひますと、彼はぐるり[#「ぐるり」に傍点]と眼玉を剥いて、
『馬鹿んこつ言ふな』
と、久しぶりの日向辯でいつて、わたしを睨みました。
底本:「若山牧水全集第八巻」雄鶏社
1958(昭和3
前へ
次へ
全11ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
若山 牧水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング