あり、私の樣に斯んな山の中で雪に埋れて暮すのもありますからなア。」
と大きな聲で笑つた。雪の來るのももう程なくであるさうだ。一月、二月、三月となると全くこの部屋以外に一歩も出られぬ朝夕を送る事になるといふ。
老人は立ち上つて、
「鱒の人工孵化をお目にかけませうか。」
と板圍ひの一棟へ私を案内した。其處には幾つとなく置き並べられた厚板作りの長い箱があり、すべての箱に水がさらさらと寒いひゞきを立てゝ流れてゐた。箱の中には孵《か》へされた小魚が蟲の樣にして泳いでゐた。
昨夜の約束通り私が老番人を連れてその沼べりの家を出かけようとすると、急にM―老人の部屋の戸があいて老人が顏を出した。そして叱りつける樣な聲で、
「××」
と番人の名を呼んで、
「今夜は歸らんといかんぞ、いゝか。」
言ひ捨てゝ戸を閉ぢた。
番人は途々M―老人に就いて語つた。あれで學校を出て役人になつて何十年たつか知らんがいまだに月給はこれ/\であること、然し今はC―家からも幾ら/\を貰つてゐること、酒は飮まず、いゝ物はたべず、この上なしの吝嗇だからたゞ溜る一方であること、俺と一緒では何彼と損がゆくところからあゝして自分自身
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