てゐる宿屋まで辿り着くことが出來た。
此處もまた極めて原始的な湯であつた。湧き溢れた湯槽には壁の破れから射す月の光が落ちてゐた。湯から出て、眞赤な炭火の山盛りになつた圍爐裡端に坐りながら、何は兎もあれ、酒を註文した。ところが、何事ぞ、無いといふ。驚き慌てゝ何處か近くから買つて來て貰へまいかと頼んだ。宿の子供が兄妹づれで飛び出したが、やがて空手で歸つて來た。更に財布から幾粒かの銅貨銀貨をつまみ出して握らせながら、も一つ遠くの店まで走つて貰つた。
心細く待ち焦れてゐると、急に鋭く屋根を打つ雨の音を聞いた。先程の月の光の浸み込んでゐる頭に、この氣まぐれな山の時雨がいかにも異樣に、佗しく響いた。雨の音と、ツイ縁側のさきを流れてゐる溪川の音とに耳を澄ましてゐるところへぐしよ濡れになつて十二と八歳の兄と妹とが歸つて來た。そして兄はその濡れた羽織の蔭からさも手柄額に大きな壜を取り出して私に渡した。
十月廿七日
宿屋に酒の無かつた事や、月は射しながら烈しい雨の降つた事がびどく私を寂しがらせた。そして案内人を雇ふこと、明日の夜泊る丸沼の番人への土産でもあり自分の飮み代でもある酒を買つて來て貰ふ
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