そして、畑に挾まれた一つの澤を越し、渡りあがつた向うの山蔭の杉木立の中に在る旨を教へて呉れた。それも道を傳つて行つたのでは廻りになる故、其處の畑の中を通りぬけて……とゆびざししながら教へようとして、
「アツ、其處に來ますよ、M―さんが。」
 と、叫んだ。囚人などの冠る樣な編笠をかぶり、辛うじて尻を被ふほどの短い袖無半纏を着、股引を穿いた、老人とも若者ともつかぬ男が其處の澤から登つて來た。そして我等が彼を見詰めて立つてゐるのを不思議さうに見やりながら近づいて來た。
「君はM―君ですか。」
 斯う私が呼びかけると、ぢつと私の顏を見詰めたが、やがて合點が行つたらしく、ハツとした風で其處に立ち留つた。そして笠をとつてお辭儀をした。斯うして向き合つて見ると、彼もまだ三十前の青年であつたのである。
 私が上州利根郡の方に行く事をば我等の間で出してゐる雜誌で彼も見てゐた筈である。然し、斯うして彼の郷里まで入り込んで來ようとは思ひがけなかつたらしい。驚いたあまりか、彼は其處に突立つたまゝ殆んど言葉を出さなかつた。路を教へて呉れた百姓も頬かむりの手拭を握つたまゝ、ぼんやり其處に立つてゐるのである。私は昨
前へ 次へ
全69ページ中40ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
若山 牧水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング