さなかをわが行きてはろけき空を見ればかなしも
木々の葉の染まれる秋の岩山のそば路ゆくとこころかなしも
きりぎしに生《お》ふる百木《ももき》のたけ伸びずとりどりに深きもみぢせるかも
歩みつつこころ怯ぢたるきりぎしのあやふき路に匂ふもみぢ葉
わが急ぐ崖の眞下に見えてをる丸木橋さびしあらはに見えて
散りすぎし紅葉の山にうちつけに向ふながめの寒けかりけり
しめりたる紅葉がうへにわが落す煙草の灰は散りて眞白き
とり出でて吸へる煙草におのづから心は開けわが憩ふかも
岩蔭の青渦がうへにうかびゐて色あざやけき落葉もみぢ葉
苔むさぬこの荒溪の岩にゐて啼く鶺鴒《いしたたき》あはれなるかも
高き橋此處にかかれりせまりあふ岩山の峽《かひ》のせまりどころに
いま渡る橋はみじかし山峽の迫りきはまれる此處にかかりて
古りし欄干《てすり》ほとほととわがうちたたき渡りゆくかもこの古橋を
いとほしきおもひこそ湧け岩山の峽にかかれるこの古橋に
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 老神《おいがみ》温泉に着いた時は夜に入つてゐた。途中で用意した蝋燭をてんでに點して本道から温泉宿の在るといふ川端の方へ急な坂を降りて行つた。宿に入つて湯を訊くと、少し離れてゐてお氣の毒ですが、と言ひながら背の高い老婆が提灯を持つて先に立つた。どの宿にも内湯は無いと聞いてゐたので何の氣もなくその後に從つて戸外へ出たが、これはまた花敷温泉とも異つたたいへんな處へ湯が湧いてゐるのであつた。手放しでは降りることも出來ぬ嶮しい崖の岩坂路を幾度か折れ曲つて辛うじて川原へ出た。そしてまた石の荒い川原を通る。その中洲の樣になつた川原の中に低い板屋根を設けて、その下に湧いてゐるのだ。
 這ひつ坐りつ、底には細かな砂の敷いてある湯の中に永い間浸つてゐた。いま我等が屋根の下に吊した提灯の灯がぼんやりとうす赤く明るみを持つてゐるだけで、四邊は油の樣な闇である。そして靜かにして居れば、疲れた身體にうち響きさうな荒瀬の音がツイ横手のところに起つて居る。やゝぬるいが、柔かな滑らかな湯であつた。屋根の下から出て見るとこまかな雨が降つてゐた。石の頭にぬぎすてゝおいた着物は早やしつとりと濡れてゐた。
 註文しておいたとろゝ汁が出來てゐた。夕方釣つて來たといふ山魚《やまめ》の魚田《ぎよでん》も添へてあつた。折柄烈しく音を立てゝ降りそめた雨を聞きながら、火鉢を擁して手づから酒をあたゝめ始めた。

 十月廿六日
 起きて見ると、ひどい日和になつてゐる。
「困りましたネ、これでは立てませんネ。」
 渦を卷いて狂つてゐる雨風や、ツイ溪向うの山腹に生れつ消えつして走つてゐる霧雲を、僅かにあけた雨戸の隙間に眺めながら、朝まだきから徳利をとり寄せた。止むなく滯在ときめて漸くいゝ氣持に醉ひかけて來ると、急に雨戸の隙が明るくなつた。
「オヤ/\、晴れますよ。」
 さう言ふとK―君は飛び出して番傘を買つて來た。私もそれに頼んで大きな油紙を買つた。そして尻から下を丸出しに、尻から上、首までをば僅かに兩手の出る樣にして、くる/\と油紙と紐とで包んでしまつた。これで帽子をまぶかに冠れば洋傘はさゝずとも間に合ふ用意をして、宿を立ち出でた。そして程なく、雨風のまだ全くをさまらぬ路ばたに立つてK―君と別れた。彼はこれから沼田へ、更に自分の村下新田まで歸つてゆくのである。
 獨りになつてひた急ぐ途中に吹割の瀧といふのがあつた。長さ四五町幅三町ほど、極めて平滑な川床の岩の上を、初め二三町が間、辛うじて足の甲を潤す深さで一帶に流れて來た水が或る場所に及んで次第に一箇所の岩の窪みに淺い瀬を立てゝ集り落つる。窪みの深さ二三間、幅一二間、その底に落ち集つた川全體の水は、まるで生絲の大きな束を幾十百綟ぢ集めた樣に、雪白な中に微かな青みを含んでくるめき流るゝ事七八十間、其處でまた急に底知れぬ淵となつて青み湛へてゐるのである。淵の上にはこの數日見馴れて來た嶮崖が散り殘りの紅葉を纏うて聳えて居る。見る限り一面の淺瀬が岩を掩うて流れてゐるのはすが/\しい眺めであつた。それが集るともなく一ところに集り、やがて凄じい渦となつて底深い岩の龜裂の間を轟き流れてゆく。岩の間から迸り出た水は直ぐ其處に湛へて、靜かな深みとなり、眞上の岩山の影を宿してゐる。土地の自慢であるだけ、珍しい瀧ではあつた。
 吹割の瀧を過ぎるころから雨は霽れてやがて澄み切つた晩秋の空となつた。片品川の流は次第に瘠せ、それに沿うて登る路も漸く細くなつた。須賀川から鎌田村あたりにかゝると四邊《あたり》の眺めがいかにも高い高原の趣きを帶びて來た。白々と流れてゐる溪を遙かの下に眺めて辿つてゆくその高みの路ばたはおほく桑畑となつてゐた。その桑が普通見る樣に年々に根もとから伐るのでなく、幹は伸びるに任せておいて僅かに枝先を刈り取るものなの
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