等をその反對の見るからに古びた一棟の方へ導かうとした。私は呼び留めた。
「イヤ僕等は見物に來たので、出來るならいゝ座敷に通して貰ひ度い、たゞ一晩の事だから。」
「へ、承知しました、どうぞこちらへ。」
案のごとくにひどい部屋であつた。小學校の修學旅行の泊りさうな、幾間か打ち續いた一室でしかも間の唐紙なども滿足には締つてゐない部屋であつた。疊、火鉢、座蒲團、すべてこれに相應したものゝみであつた。
私は諦めてその火鉢の側に腰をおろしたが、K―君はまだ洋傘を持つたまゝ立つてゐた。
「先生、移りませう、馬車を降りたツイ横にいゝ宿屋があつた樣です。」
人一倍無口で穩かなこの青年が、明かに怒りを聲に表はして言ひ出した。
私もそれを思はないではなかつたが、移つて行つてまたこれと同じい待遇を受けたならそれこそ更に不快に相違ない。
「止さうよ、これが土地の風かも知れないから。」
となだめて、急いで彼を湯に誘つた。
この分では私には夕餉の膳の上が氣遣はれた。で、定つた物のほかに二品ほど附ける樣にと註文し、酒の事で氣を揉むのを慮つて豫じめ二三本の徳利を取り寄せ自分で燗をすることにしておいた。
やがて十五六歳の小僧が岡持で二品づつの料理を持つて來た。受取つて箸をつけてゐると小僧は其處につき坐つたまゝ、
「代金を戴きます。」
といふ。
「代金?」
と私は審《いぶか》つた。
「宿料かい?」
「いゝえ、そのお料理だけです。よそから持つて來たのですから。」
思はず私はK―君の顏を見て噴き出した。
「オヤ/\君、これは一泊者のせゐのみではなかつたのだよ、懷中を踏まれたよ」
十月廿一日
朝、縁に腰かけて草鞋を穿いてゐても誰一人聲をかける者もなかつた。帳場から見て見ぬ振である。もつとも私も一錢をも置かなかつた。旅といへば樂しいもの難有いものと思ひ込んでゐる私は出來るだけその心を深く味はひたいために不自由の中から大抵の處では多少の心づけを帳場なり召使たちなりに渡さずに出た事はないのだが、斯うまでも挑戰状態で出て來られると、さういふ事をしてゐる心の餘裕がなかつたのである。
面白いのは犬であつた。草鞋を穿いてゐるツイ側に三疋の仔犬を連れた大きな犬が遊んでゐた。そしてその仔犬たちは私の手許にとんで來てじやれついた。頭を撫でてやつてゐると親犬までやつて來て私の額や頬に身體をすりつける。や
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