ンガニカの砂地と同じ温度を保《たも》たせた恒温室の中に二十四時間入れて置いたというわけである。
ガン、ガラガラッ。
ガラガラガラッ。パシーン。
博士はパイプを床《ゆか》にとり落した。それほど物凄い、ただならぬ音響がした。音の方角は、どうやら恒温室だった。
「さては恒温室が、熱のために爆発らしいぞ」
博士は驚いて戸口の方へ歩《ほ》を搬《はこ》んだ。扉に手をかけようとすると扉《ドア》の方でひとりでパッと開いた。――その向こうには、助手の理学士の土色《つちいろ》の顔があった。しかも白い実験衣の肩先がひどく破れて、真赤な血潮が見る見る大きく拡がっていった。
「ど、どうしたのだッ」
「せ、せんせい、あ、あれを御覧なさい」
ブルブルと顫《ふる》う助手の指先は、表通《おもてどおり》に面した窓を指した。
博士は身を翻して、窓際《まどぎわ》に駈けつけた。そして硝子《ガラス》を通して、往来を見た。
大勢の人がワイワイ云いながら、しきりに上の方を指している。どうやら、向い側のビルディングの上らしい。
とたんに飛行機が墜落するときのような物凄い音響がしたかと思うと、イキナリ目の前に、自動車の二倍もあるような真黒なものが降りてきた。よく見ると、それには盥《たらい》のような眼玉が二つ、クルクルと動いていた。畳一枚ぐらいもあるような翅《はね》がプルンプルンと顫動《せんどう》していた。物凄い怪物だッ!
「先生。恒温室の壁を破って、あいつが飛び出したんです」
「君は見たのか」
「はい、見ました。あのお持ちかえりになった卵を取りにゆこうとして、見てしまいました。しかし先生、あの卵は二つに割れて、中は空《から》でした」
「なに、卵が空……」博士はカッと両眼《りょうがん》を開くと、怪物を見直した。そして気が変になったように喚《わめ》きたてた、「うん、見ろ見ろ。あれは蠅だ。タンガニカには身長が二メートルもある蠅が棲《す》んでいたという記録があるが、あの卵はその蠅の卵だったんだ。恒温室で孵化《ふか》して、それで先刻《さっき》からピシピシと激しい音響をたてていたんだ。ああ、タンガニカの蠅!」
博士は身に迫る危険も忘れ、呆然《ぼうぜん》と窓の下に立ちつくした。ああ、恐るべき怪物!
このキング・フライは、後に十五万ヴォルトの送電線に触《ふ》れて死ぬまで、さんざんに暴れまわった。
第二話 極左《きょくさ》の蠅
その頃、不思議な病気が流行《はや》った。
一日に五六十人の市民が、パタリパタリと死んだ。第十八世に一度姿を現わしたという「赤き死の仮面」が再び姿をかえて入りこんだのではないかと、都大路《みやこおおじ》は上を下への大騒動だった。
「きょうはこれで……六十三人目かナ」
死屍室《しししつ》から出て来た伝染病科長は、廊下に据付《すえつ》けの桃色の昇汞水《しょうこうすい》の入った手洗の中に両手を漬《つ》けながら独り言を云った。そこへ細菌科長が通りかかった。
「おい、どうだ。ワクチンは出来たか」
「おお」と細菌科長は苦笑《にがわら》いをしながら足を停めた。「駄目、駄目、ワクチンどころか、まだ培養《ばいよう》できやせん」
「困ったな。今日は息を引取ったのが、これで六十……」
と云おうとしたところへ、肥《ふと》っちょの看護婦がアタフタ駈けてきた。
「先生、すぐ第二十九号室へお願いします。脈が急に不整《ふととの》えになりまして……」
「よオし。すぐ行く」といって再び細菌科長の方を振りかえり、「今日はレコード破りだぞ。こんどが六十四人目だ」
「……」
二人は反対の方角に、急ぎ足で立ち去った。
入れかわりに、廊下をパタパタ草履《ぞうり》を鳴らしながら、警視庁の大江山《おおえやま》捜査課長と帆村《ほむら》探偵とが、肩を並べながら歩いて来た。
「……だから、こいつはどうしても犯罪だと思うのですよ、課長さん」
「そういう考えも、悪いとは云わない。しかし考えすぎとりゃせんかナ」
「それは先刻《さっき》から何度も云っていますとおり、私の自信から来ているのです。なにしろ、病人の出た場所を順序だてて調べてごらんなさい。それが普通の伝染病か、そうでないかということが、すぐ解《わか》りますよ。普通の伝染病なら、あんな風に、一つ町内に出ると、あとはもう出ないということはありません」
「しかし伝染地区が拡がってゆくところは、伝染病の特性がよく出ていると思う」
「伝染病であることは勿論《もちろん》ですが、ただ普通じゃないというところが面白いのですよ」
二人の論争が、そこでハタと停った。彼の歩調も緩《ゆる》んだ。丁度《ちょうど》二人が目的の部屋の前に来たからである。黒い漆《うるし》をぬった札の表には、白墨《はくぼく》で「病理室」と書いてあった。
ノックをして、二人は部屋
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