してその雄から、あの畸形な子蠅が生れてきたのだ。
ああ、私は果して、五体が満足に揃った嬰児《えいじ》を生むであろうか。それとも……。
第五話 ロボット蠅
赤軍の陣営では、軍団長《ぐんだんちょう》イワノウィッチが本営から帰ってくると、司令部の広間へ、急遽《きゅうきょ》幕僚《ばくりょう》の参集《さんしゅう》を命じた。
「実に容易ならぬ密報をうけたのじゃ」と軍団長は青白い面に深い心痛《しんつう》の溝《みぞ》を彫《ほ》りこんで一同を見廻した。「白軍には駭《おどろ》くべき多数の新兵器が配布されているそうな。その新兵器は、いかなる種類のものか、ハッキリしないのであるが、中に一つ探りあてたのは、殺人音波《さつじんおんぱ》に関するものだ。耳に聞えない音――その音が、一瞬間に人間の生命を断ってしまうという。とにかく一同は、この新兵器の潜入《せんにゅう》について、極度《きょくど》の注意を払って貰わにゃならぬ。そして一台でも早く見つけたが勝じゃ。一秒間発見が早ければ千人の兵員を救う。一秒間発見が遅ければ、千人の兵員を喪《うしな》う。各自は注意を払って、新兵器の潜入を発見せねばならぬ」
並居《なみい》る幕僚は、思わずハッと顔色を変えた。そして銘々《めいめい》に眼《まなこ》をギョロつかせて、室内を見廻した。もしやそこに、見馴《みな》れない新兵器がいつの間にやら搬《はこ》びこまれていはしまいかと思って……。
「ややッ、ここに変なものがあるぞ」
幕僚の一人、マレウスキー中尉が突然叫んだ。
「ナナなんだって?」
一同は長靴をガタガタ床にぶっつけながら中尉の方を見た。彼は室の隅《すみ》の卓子《テーブル》の上に、手のついた真黒い四角な箱を発見したのだ。
「こッこれだッ。怪しいのは……」
「なんだ其の箱は」
「爆弾が仕掛けてあるのじゃないかナ」
「イヤ短波の機械で、われ等の喋《しゃべ》っていることが、そいつをとおして、真直《まっすぐ》に敵の本営へ聞えているのじゃないか」
「それとも、殺人音波が出てくる仕掛けがあるのじゃないか」
一同は喚《わめ》きあって、その四角の黒函《くろばこ》をグルリと取り巻いた。
「あッはッはッ」と人垣のうしろの方から、無遠慮《ぶえんりょ》な爆笑の声がひびいた。フョードル参謀の声で。
「あッはッはッ。それア弁当屋《べんとうや》の出前持《でまえもち》の函なんだ。多分お昼に食った俺《おれ》の皿が入っているだろう」
「なんだって、弁当の空《から》か?」
「どうして、それがこんなところにあるのか」
「イヤ、さっき弁当屋の小僧が来た筈なんだが、持ってゆくのを忘れたのじゃあるまいかのウ」フョードル参謀は云った。
「忘れてゆくとは可笑《おか》しい、中を検《しら》べてみろ」
「早くやれ、早くやれッ」
「よォし」とフョードル参謀は進み出た、「じゃ明《あ》けるぞオ」
一同の顔はサッと緊張した。軍団長イワノウィッチは、大刀《だいとう》を立《たて》て反身《そりみ》になって、この際の威厳《いげん》を保《たも》とうと努力した。
「よォし、明けろッ」
「明けるぞオ」
フョードルは、黒函《くろばこ》の蓋に手をかけると、音のせぬようにソッと外《はず》しにかかった。一同の心臓は大きく鼓動をうって、停りそうになった。
「……?」
蓋はパクリと外れた。
「なアんだ」
見ると、函の中には、白い料理の皿が二三枚|重《かさ》なっているばかりだった。皿の上には食いのこされた豚の脂肉《あぶらにく》が散らばっていて、蠅が二匹、じッと止《と》まっていた。
「ぷーッ。ずいぶん汚い」
「見ないがよかった。新兵器だなんていうものだから、つい見ちまった」
一同は興《きょう》ざめ顔のうちに、まアよかったという安堵《あんど》の色を浮べた。
そのとき入口の扉《ドア》が開いて、少年がズカズカと入ってきた。
「おや、貴様は何者かッ」
「誰の許しを得て入って来たか」
将校たちに詰めよられた少年は、眼をグルグル廻すばかりで、頓《とみ》に返辞も出せなかった。
「オイ、許してやれよ」フョードル参謀が声をかけた、「いくら白軍《はくぐん》の新兵器が恐ろしいといったって、あまり狼狽《ろうばい》しすぎるのはよくない……」
「なにッ」
「そりゃ、弁当屋の小僧だよ」
「弁当屋の小僧にしても……」
「オイ小僧、ブローニングで脅《おどか》されないうちに、早く帰れよ」
少年はフョードルの言葉が呑みこめたものか、肯《うなず》いて黒い函をとると、重そうに手に下げ、パッと室外に走り出した。
「なーんだ、本当の弁当屋の小僧か」
「いや小僧に化けて、白軍の密偵が潜入して来るかも知れないのだ」とマレウスキー中尉は神経を尖《とが》らした。
「油断はせぬのがよい。しかし卑怯《ひきょう》であっては、戦争は負けじゃ」
前へ
次へ
全12ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング