やと云うことだす」
「ほう、それはあの家の主人ですか」
「そうだっしゃろな。なんでも元は由緒あるドクトルかなんかやったということだす」
「外に同居人はいないのですか、お手伝いさんとか」
「そんなものは一人も居らへんということだす。尤《もっと》も出入の米屋さんとか酒屋さんとかがおますけれど、家の中のことは、とんと分らへんと云うとります」
「そのドクトルとかいう人物とは顔を合わさないのですか」
「そらもう合わすどころやあれへん。まず注文はすべて電話でしますのや。商人は品物をもっていって、裏口の外から開く押入《おしいれ》のようなところに置いてくるだけや云うてました。するとそこに代金が現金で置いてありますのや。それを黙って拾うてくるんやと、こないな話だすな。そやさかい向うの家の仁《じん》に顔を合わさしまへん」
「ずいぶん変った家ですね。――とにかくこれから一つ行ってみましょう」
そういっているところへ、電話のベルがけたたましく鳴りだした。消防手は素早《すばや》く塔上の小室に飛びこんで、しきりに大声で答えていた。それは同じくこの臭気に関するもののようであった。それは消防手が再び帆村の前に現われたとき明白になった。
「――いま警察から電話が懸《かか》ってきましてん。この怪《け》ったいな臭《かざ》がお前とこから見えてえへんか云う質問だす。こら、なんか間違いごとが起ったんですなア。やあえらいことになりましたなあ」
旅行中の貼り札
帆村はその足で、すぐさま奇人館の前に行った。
なるほど、それは実に奇妙な建物だった。よく病院の標本室に入ると、大きな砂糖|壜《びん》のような硝子《ガラス》器の中に、アルコール漬けになって、心臓や肺臓や、ときとすると子宮《しきゅう》などという臓器が、すっかり色彩というものを失ってしまって、どれを見てもただ灰色の塊《かたまり》でしかないというのが見られる。この奇人館はどこかそのアルコール漬けの臓器に似ていた。
灰色の部厚いコンクリートの塀、そのすぐ後に迫って、膨《ふく》れ上ったような壁体《へきたい》でグルリと囲んだ函のような建物。――それらは幾十年の寒さ暑さに遭《あ》って、壁体の上には稲妻のような罅《ひび》が斜めにながく走り、雨にさんざんにうたれては、一面に世界地図のような汚斑《しみ》がべったりとつき、見るからにゾッとするような陰惨《いんさん》な邸宅《ていたく》だった。
それでも往来に面したところには、赤く錆《さ》びてはいるが鉄柵づくりの門があり、それをとおして石段の上に、重い鉄の扉《ドア》のはまった玄関が見えていた。
「おおあすこに何か貼り札がしてある!」
その玄関の扉のハンドルに、斜めになって文字をかいた厚紙が懸っているのを帆村は見た。なんと書いてあるのだろう。彼は光線のとおらないところにある掲示を、苦心して読み取った。
――当分旅行ニツキ訪問ヲ謝絶《シャゼツ》ス。十一月三十日、鴨下《カモシタ》――
「ウン、鴨下――というか。ここの主人公の名前だな。その主人公は旅行に出かけたという掲示《けいじ》だ。なアんだ。中は留守じゃないか」
帆村はちょっとガッカリした。
だが、よく考えてみると、留守は留守でも、それは十一月三十日に出ていったのだから、一昨日《おととい》の出来ごとだった。それだのに、昨夜からずっとこの方、煙突から煙が出ているというのは一体どうしたことだろう?
「鴨下ドクトルが、ストーブの火を燃しつけていったのかしら。しかしそれなら、一昨日の夜も昨日の朝も昼間も、別に煙が出なかったのはどうしたわけだろう」
とにかく無人《むじん》であるべき家の煙突から、モクモクと煙が上るというのはどう考えても合点がゆかないことだ。どうしても、中に誰か居て、ストーブに火を点けたのでなければ話が合わない。もし人が居るとしたら、誰が居るのだろう。鴨下ドクトルが出ていった後に、一体誰が残っているというのだろう?
奇人館の怪事を、何と解こうか。
帆村が門前に腕組をして考えこんでいるときだった。丁度《ちょうど》そこへ、街の異変を聞きこんだ所轄《しょかつ》警察署の警官たちが自動車にのって駈けつけてきた。
「さあ、早いとこ、お前はベルを押せ。なにベルがない。探せ探せ。どこかにある筈《はず》や」
と指揮の巡査部長が大童《おおわらわ》の号令ぶりをみせた。
「――それから別に、お前とお前とで、この鉄の門を越えて、玄関の戸を叩いてみい」
声の下に、二名の警官が勇しく鉄の門に蝗《いなご》のように飛びついた。
「さあ、お前ら三名、裏口へ廻れ、一人は連絡やぜ」
部下を四方へ散らばせると、巡査部長は帽子の頤紐《あごひも》をゆるめて、頤に掛けた。そして鼻をクンクン鳴らして、
「うわーッ、こらどうもならん臭さや。なにをしよったんやろ、奇人ドクトルは……」
そのとき帆村は横合《よこあい》から声をかけた。
「おおこれは帆村はんだすな。まだ御泊《おとま》りでしたか。えらいところをごらんに入れますわ、ハッハッハッ」
検事の村松氏に案内されていったとき、知合いになった住吉署の大川巡査部長であった。帆村は邪魔にならぬように、傍《そば》についていた。
裏口に廻った部下の一人が帰ってきて、二階の西側の鎧窓《よろいまど》に鍵のかかっていないところがあって、そこから中へ這入れると報告をした。大川は悦《よろこ》んで、
「よし、そこから這入《はい》れ、三人外に残して、残り皆で這入るんや。俺も這入ったる」
巡査部長は、佩剣《はいけん》を左手で握って、裏口へ飛びこんでいった。帆村もそのまま一行の後に続いていった。
樋を伝わって、屋根にのぼり、グルリと壁づたいに廻ってゆくと、なるほど四尺ほど上に鎧戸の入った窓がポッカリ明いていて、そこから一人の警官がヒョイと顔を出した。
「中は、ひっそり閑《かん》としてまっせ」
「そうか。――油断はでけへんぞ。カーテンの蔭かどこかに隠れていて、ばアというつもりかもしれへん。さあ皆入った。さしあたり煙突に続いている台所とかストーブとかいう見当《けんとう》を確かめてみい」
勇敢なる巡査部長は、先頭に立って、腐《くさ》りかかった鎧戸を押して、薄暗い内部にとび下りた。一行は、最初の警官を窓のところに張り番に残して、ソロソロと前進を開始した。
帆村も丹前の端《はし》を高々と端折《はしょ》って、腕まくりをし、一行の後からついていった。
たいへん曲りくねって階段や廊下がつづいていた。外から見るような簡単な構造ではない。大小いくつかの部屋があるが、悉《ことごと》く洋間になっていて、日本間らしいものは見当らなかった。
家の中に入ると、不思議とあの変な臭気は薄れた。そしてそれに代って、ひどく鼻をつくのが消毒剤のクレゾール石鹸液の芳香《ほうこう》だった。
「ここ病院の古手《ふるて》と違うか」
「あほぬかせ。ここの大将が、なんでも洋行を永くしていた医者や云う話や」
「ああそうかそうか。それで鴨下ドクトルちゅうのやな。こんなところに診察室を作っておいて、誰を診《み》るのやろ」
「コラ、ちと静かにせんか」
巡査部長の一喝《いっかつ》で、若い警官たちはグッと唇を噤《つぐ》んだ。
いくら跫音《あしおと》を忍ばせても、ギシギシ鳴る大階段を、下に下りてゆくと、思いがけなく大きい広間に出た。スイッチをパチンと押して、電灯をつけてみる。
「ああ――」
これは主人の鴨下ドクトルの自慢の飾りでもあろうか、一世紀ほど前の中欧ドイツの名画によく見るような地味な、それでいてどことなく官能的な部屋飾りだ。高い壁の上には誰とも知れぬがプロシア人らしい学者風の人物画が三枚ほど懸っている。横の方の壁には、これも独逸《ドイツ》文字でギッシリと説明のつけてある人体解剖図と、骨骼及び筋肉図の大掲図《だいけいず》とが一対をなしてダラリと下っている。
色が褪《あ》せたけれど、黒のふちをとった黄色い絨毯《じゅうたん》が、ドーンと床の上に拡がっていた。そして紫檀《したん》に似た材で作ってある大きな角|卓子《テーブル》が、その中央に置いてある。その上には、もとは燃えるような緑色だったらしい卓子掛けが載って居り、その上には何のつもりか、古い洋燈《ランプ》がただ一つ置かれてあった。
室内には、この外に、奇妙な飾りのある高い椅子が三つ、深々とした安楽椅子が四つ、それから長椅子が一つ、いずれも壁ぎわにキチンと並んでいた。
もう一つ、書き落としてはならないものがあった。それはこの部屋にはむしろ不似合なほどの大|暖炉《ストーブ》だった。まわりは黒と藍《あい》との斑紋《はんもん》もうつくしい大理石に囲われて居り、大きなマントルピースの上には、置時計その他の雑品が並んでいた。しかもその火床《かしょう》には、大きな石炭が抛《ほう》りこまれて居り、メラメラと赤い焔をあげて、今や盛んに燃えているところだった。
「これやア。えろう燃やしたもんや。ムンムンするわい」
と、巡査部長はストーブの方に近づいた。
「ほほう、こらおかしい。傍へよると、妙な臭《かざ》がしよる――」
「えッ。――」
一同は、愕《おどろ》いてストーブの傍に駆けよった。
崩《くず》れる白骨《はっこつ》
「これ見い。こんなところに、妙な色をした脂《あぶら》みたよなもんが溜っとるわ」
と大川部長は、火かきの先で、火床《かしょう》の前の煉瓦敷《れんがじ》きの上に溜っている赤黒いペンキのようなものを突いた。
「何でっしゃろな」
「さあ――こいつが臭《にお》うのやぜ」
と云っているとき、巡査部長のうしろから帆村が突然声をかけた。
「これア大変なものが見える。大川さん。火床の中に、人骨《じんこつ》らしいものが散らばっていますぜ?」
「ええッ、人骨が――。どこに?」
「ホラ、今燃えている一等大きい石炭の向う側に――。見えるでしょう」
「おお、あれか。なるほど肋骨《ろっこつ》みたいや。これはえらいこっちゃ。いま出して見まっさ」
さすがは場数《ばかず》を踏んだ巡査部長だけあって、口では愕《おどろ》いても、態度はしっかりしたものだ。腰をかがめると、火掻《ひか》き棒《ぼう》で、その肋骨らしいものを火のなかから手前へ掻きだした。
「フーン。これはどう見たって、大人の肋骨や。どうも右の第二|真肋骨《しんろっこつ》らしいナ」
「こんなものがあるようでは、もっとその辺に落ちてやしませんか」
「そうやな。こら、えらいこっちゃ。――おお鎖骨《さこつ》があった。まだあるぜ。――」
大川は灰の中から、人骨をいくつも掘りだした。その数は皆で、五つ六つとなった。
「――もう有りまへんな。こうっと、胸の辺の骨ばかりやが、わりあいに数が少いなア」
と、彼は不審《ふしん》の面持で、なにごとかを考えている様子だった。
それにしても人骨である限り、主人の留守になった建物の中のストーブに、こんなものが入っているとは、なんという愕くべきことだろう。一体この骨の主は、何者だろう。
「あのひどい臭気から推して考えると、もっと骨が見つかるはずですね」と帆村が云った。彼は跼《かが》んで、しばらくストーブの中をいろいろな角度から覗きこんでいたが、ややあって、ひどく愕いたような声をだした。
「呀《あ》ッ。ありましたありました。肋骨が一本、ストーブの煙道《えんどう》のところからブラ下っていますよ。煙道の中が怪しい」
「ナニ煙道の中が……」と、顔色をサッと変えた大川巡査部長は、火掻き棒を右手にグッと握ると、燃えさかる石炭をすこし横に除け、それから下から上に向って火掻き棒をズーッと挿しこみ、力まかせにそこらを掻きまわした。それはすこし乱暴すぎる行いではあったが、たしかに手応《てごた》えはあった。
ガラガラガラという大きな音とともに、煙道の中からドッと下に落ちてきた大きなものがあった。それは、同時に下に吹きだした黒い煤や白い灰に距《へだ》てられて、しばらくは何物とも見分けがたかったけれど、その灰燼《かいじん》がやや鎮《しず》まり、思わずストーブの前か
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