以下、なんのことだと、気の弱い社員のズブ濡れ姿に朗らかな笑声を送った。
「――女の方は誰や。コラ、こっち向いて――」
 と、署長は、鳩が豆を喰ったように眼をパチクリしている四十がらみの女に声をかけた。
「へへ、わ、わたくしはお松云いまして令嬢《いと》はんのお世話をして居りますものでございます」
「ウム、お松か。――なんでお前は金魚鉢を二階から落としたんや。人騒がせな奴じゃ」
「金魚鉢をわざと落としたわけやおまへん。走って居る拍子に、つい身体が障りましてん」
「なんでそんなに夢中で走っとったんや」
「それはアノ――蠅男が、ゴソゴソ匍《は》ってゆく音を聞きましたものやから、吃驚《びっくり》して走りだしましたので――」
「ナニ蠅男? 蠅男の匍うていっきょる音を聞いたいうのんか。ええオイ、それは本当か――」
 署長は冗談だと思いながらも、ちょっと不安な顔をした。なにしろ蠅男防禦陣を敷いている真最中のことであったから。
「本当《ほんま》でっせ。たしかに蠅男に違いあらへん。ゴソゴソゴソと、重いものを引きずるような音を出して、二階の廊下の下を匍うとりました」
「二階の廊下の下を――」
 と署長が天井
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