》しかったが、生憎《あいにく》とズボンを履いていない。帆村は怪人の自動車を追いかけるひまひまに、どてらの禍《か》をくりかえしくりかえし後悔していた。


   現われた蠅男


 帆村探偵の必死の追跡ぶりが、店員先生の鈍い心にも感じたのであろうか、それとも先生の乗った味噌樽があまりにガタガタ揺れるので樽酔いがしたのであろうか、とにかく店員先生は三輪車のうしろに獅噛《しが》みついたまま、もう泥棒などとは喚《わめ》かなかった。
「おう、樽の上のあん[#「あん」に傍点]ちゃんよオ」
 帆村はまた声を張りあげて叫んだ。
「なんや、俺のことか」
「君、何か書くものを持っているだろう」
「持ってえへんがな」
「嘘をつくな、手帳かなんか持っているだろう。それを破いて、二十枚ぐらいの紙切をこしらえるんだ」
 帆村はハアハアと息をきった。自動車との距離はまだ五百メートルぐらいある。
「その紙片をどないするねン」
「ううン。――その紙片にネ、字を書いてくれ。なるべくペンがいい」
「誰が字を書くねン」
「あん[#「あん」に傍点]ちゃんが書いておくれよ」
「あほらしい。こんなガタガタ車の上で、書けるかちゅんや
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