、二人の出てゆくのにも気がつかない風だった。


   生きている主人


 夜はいたく更けていた。
 仰ぐと、寒天には一杯の星がキラキラ輝いていた。晴れ亙《わた》った暗黒の夜――
 ほとんど行人の姿もない大通りを、村松検事と帆村荘六の乗った警察自動車は、弾丸のように疾駆していった。
 天下茶屋《てんかぢゃや》三丁目は、スピードの上では、まるで隣家も同様であった。
 玉屋邸の前で、二人は車を下りた。
 扉を開けてくれたのを見ると、それは、帆村もかねて顔見知りの大川巡査部長だった。彼は直立不動の姿勢をして、
「――私がもっぱら屋外警戒の指揮に当っとります」
 と、検事に報告した。
「それは御苦労。すっかり邸宅を取巻いているのかネ」
「へえ、それはもう完全やと申上げたいくらいだす。塀外《へいそと》、門内、邸宅の周囲と、都合三重に取巻いていますさかい、これこそ本当《ほんま》の蟻の匍いでる隙間もない――というやつでござります」
「たいへんな警戒ぶりだネ」
「へえ、こっちも意地だす。こんど蠅男にやられてしもたら、それこそ警察の威信地に墜つだす。完全包囲をやらんことには、良かれ悪しかれ、どっちゃにしても寝覚《ねざめ》がわるおます」
 この巨大な体躯の持ち主は、頤紐《あごひも》をかけた面にマスクもつけず、彼の大きな団子鼻は寒気のために苺《いちご》のように赤かった。なににしても、たいへんな頑張り方だった。
 村松と帆村は、監視隊の間を縫って警戒線を一巡した。なるほど、映画に出てくる国定忠治の捕物を思わせるような大規模のものだった。警官の吐く息が夜目にも白く見えた。
 一巡後、二人は、厳重な門を開いて貰って、玄関に入った。
 さすがに屋内は、鎮まりかえっていた。でも座敷に入ると、襖《ふすま》の蔭や階段の下に、警官が木像のように立っていた。そして検事の近づくのを見ると、一々鄭重な敬礼をした。
「ああ検事さん検事さん。――」
 警戒総指揮官の正木署長が、向うからやって来た。彼も頤紐をかけ、足には靴下を脱いで、その代りに古|足袋《たび》を履いていた。それは捕物の際、畳の上で滑らないためらしかった。
「おお正木君か。――君、蠅男というのは何十人ぐらいで、隊をなしてくるのかネ」
「隊をなして? ――ハッハッハッ。検事さんのお口には敵いまへん。ともかくも屋内のどこからどこまで、私のとこで完全に指
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