一向知らへんし、第一、お父さんはナ、人様から恨みを受けるようなことはちょっともしたことないわ。ことに殺されるような、そんな仰山な恨みを、誰からも買うてえへんわ」
「本当やな。――本当ならええけれど」
「本当は本当やが、とにかくこれは脅迫状やから、警察へ届けとこう」
「ああ、それがよろしまんな。うち[#「うち」に傍点]電話をかけまひょか」
「電話より、誰かに警察へ持たせてやろう。会社へ電話かけて、庶務の田辺に山ノ井に小松を、すぐ家へこい云うてんか」
 娘の糸子が電話をかけに行っている間に、邸内《ていない》の男たちが呼び集められた。玉屋総一郎は、ともかくも蠅男の襲撃を避けるため、自分の居間に引籠《ひきこも》る決心を定めた。それだからまず外部から蠅男の侵入してくるのを防ぐために、四つの硝子窓を内側から厳重に羽根蒲団とトタン板とでサンドウィッチのように重ねたもので蓋をし、釘づけにした。それでもまだ心配になると見え、窓のところへ、大きな書棚や戸棚をピタリと据えた。
「どうです、旦那はん。これでよろしまっしゃろか」
「うん、まあその辺やな」
「あとは、明《あ》いとるところ云うたら、天井にある空気|孔《あな》だすが、あれはどないしまひょうか」
「あああの空気孔か」と、総一郎は白い天井の隅に、一升|桝《ます》ぐらいの四角な穴が明いている空気抜きを見上げた。そこには天井の方から、重い鋳物《いもの》の格子蓋《こうしぶた》が嵌《は》めてあった。「さあ、まさかあれから大の男が入ってこられへんと思うが、――」
「さようですナ、あの格子の隙から入ってくるものやったら、まあ鼠か蚊か――それから蠅ぐらいなものだっしゃろナ」
「なに、蠅が入ってくる。ブルブルブル。蠅は鬼門《きもん》や。なんでもええ、あの空気孔に下から蓋《ふた》をはめてくれ」
「下から蓋をはめますんで……」
「出来んちゅうのか」
「いえ、まだ出来んいうとりまへん。いま考えます。ええ、こうっと、――」
 下僕《しもべ》たちが脳味噌を絞った挙句《あげく》、その四角な空気孔を、下から厚い紙で三重に目張りをしてしまった。
「さあ、これでもう大丈夫です。こうして置いたら蠅や蚊どころか、空気やって通ることが出来しまへん」
 総一郎は、それでも不安そうに天井を見上げた。
 そのうちに、会社からは田辺課長をはじめ山ノ井、小松などという選《え》りすぐり
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