脳力の前には太陽の傍の月のように見劣りがするという事実だった。それは愕くというよりも、むしろ恐ろしいことであった。ドクトルの日記は次のような文句をもって結ばれていた。
「――予はあまりにも、神を忘れて魔の学問の中に足を踏み入れすぎた形だ。予は『縮小人間』を拵《こしら》えたことを今や後悔している。出来るなら、今宵のうちにも、この『縮小人間』を殺してしまいたいと思う。そうすることが、自分の研究を永久に葬りさり、そして万一『縮小人間』が世の中に飛びだして、前代未聞の超人的暴行を働くのを予《あらかじ》め阻止することにもなるのだ。一刻も早く彼を殺さねばならぬ。しかし予は懼れる。あの悧発な『縮小人間』が予のこの危惧と殺意に気づかぬ筈はないのだ。今や時既に手遅れなのではあるまいか。
予は今日になって、幼なきときに人手に預けてしまった只一人の子供カオルのことを想う。おお吾が愛するカオルよ。汝の父は愛しき御身を今日まで忘れていた。汝の父は、その罪のために、今や悪魔の牙に噛みくだかれようとしているのだ。罪の父はただひと目、御身の顔《かんばせ》を見たいと切望するが、その願いも今はもう空《むな》しき夢と諦めなければならないのかもしれない、噫《ああ》!」
帆村の読みあげる天才ドクトルの切々の情をこめた日記の文句に、遺児カオルは怺《こら》えに怺《こら》えていた悲しみの泪をおさえかね、ワッと声をあげて愛人山治の膝に泣き崩れた。
さて探偵帆村荘六の努力が遂に酬いられて前代未聞の「蠅男」の全貌が始めて明らかになった。中でも悦んだのは、府下を守る捜査陣であった。村松検事も自由の身となった。蠅男が検事に塩田先生殺しの罪をぬりつけようとした次第が明らかになったので。蠅男は鴨下ドクトルに化けて洗面所に入ると見せ、すぐさまその窓から法曹ビルの外壁を、あの巧妙な鉄の爪でもって匍いのぼり、窓の外から塩田先生の頭蓋骨に用意の文鎮《ぶんちん》を発射したことが判明したのだった。村松検事は、帆村の顔を見るや走りよって固い固い握手をした。それは冷静を以て聞える村松検事にしては、先例のない昂奮状態であった。帆村も強くその手を握りかえし、
「さあ、村松さん。ぐずぐずしてはいられませんよ。蠅男は想像以上に恐ろしい奴です。亡き鴨下ドクトルも、万一蠅男が市中にとび出したときには、その卓越した頭脳力をもって、どんな狂悪極まる暴行
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