がけなさであろう。
自分のベッドの上に長々と寝ている怪人物は何者だろう。それは気味の悪い屍体でもあろうかと、胸おどらせて夜具を剥いでみれば意外にも意外、麗人《れいじん》糸子の人形のような美しい寝顔が現われたのである。これは一体どうしたことであろう。
ベッドの上の糸子は死んでいるのではなかった。目覚めこそしないが、落ついた寝息をたててスヤスヤと睡っているのであった。その蝋《ろう》のように艶のある顔は、いくぶん青褪めてはいたけれど、形のいい弾力のある唇は、まるで薔薇の花片《はなびら》を置いたように紅《あか》かった。
帆村の魂は恐怖の谷からたちまち恍惚の野に浮き上り、夢を見る人のようにベッドの上の麗人の面にいつまでも吸いつけられていた。
「なぜだろう?」
帆村は、解けない謎のために、やっと正気に戻った。夢ではない、糸子が彼の部屋のベッドの上に寝ているのは厳然たる事実だ。厳然たる事実なれば、この大きい意外をもたらした事情はどういうのだろう。それを知らなければならない。
彼は帳場へ電話をかけようかと思って、それに手を懸けた。けれどそのとき不図《ふと》気がついて懐中《ふところ》を探った。
出て来たのは、一通の西洋封筒だった。さっき帳場で渡されてきた宛名も差出人の名前もない変な手紙だ。
彼はそっと封筒をナイフの刃で剥《は》がしてみた。その中からは新聞紙が出て来た。新聞紙を八等分したくらいの小さい形のものだった。
新聞紙が出て来たと見るより早く、帆村は蠅男の脅迫状を連想した。拡げて調べてみると、果然活字の上に、赤鉛筆で方々に丸がつけてある。これを拾って綴ってゆくと、文章になっていることが分った。
「ウム、やはり蠅男の仕業だな」
赤い丸のついた字を拾ってゆくと、次のような文句になった。
「――この事件カラただちに手をひケ、今日まデワ大メに見テやる、その証コに、イと子を安全に返シテやる、手を引カネバ、キサマもいと子も皆、いのちがナイものと覚悟セヨ、蠅男より、ほムラそう六へ――
果然、蠅男からの脅迫状だった。
帆村探偵に、この事件から手を引かせようという蠅男の魂胆だった。
帆村は、この新聞紙に赤丸印の脅迫状を読んでいるうちに、恐怖を感ずるどころかムラムラと癪《しゃく》にさわって来た。
「かよわい糸子さんを威《おど》かしの種に使おうなんて、卑怯千万な奴だ」
それに
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