のように奸智《かんち》にたけた奴……」
と、そこまで云った帆村は、急に言葉を切った。そして長吉の身体をドーンと突くなり、
「おう、危い。自動車のうしろに隠れろッ」
と早口で命令した。
その言葉が終るか終らないうちに、ブーンと風を切って落ちてきたのは三貫目の味噌樽だった。二人がもうすこし気がつかないで立っていたとしたら、彼等のどっちかがその恐ろしい勢いで落ちてきた味噌樽のために、頭蓋骨を粉砕されなければならなかったろう。
味噌樽は、なおも上からピューンと呻《うな》りを生じて落ちてきた。その勢いの猛烈なことといったら、地面に落ちて、地雷火のように泥をはねとばし、壊れ自動車に当っては、鉄板をひきちぎって宙に跳ねあげるという凄い勢いであった。なんという強力なんだろう。見かけは普通の人とあんまり違わぬ背丈でありながら、まるで仁王さまが砲弾なげをするような激しい力を持っているのだった。そのとき何処からともなく、飛行機のプロペラらしい音響が聞えてきた。
すると、蠅男は可笑しいほど俄《にわか》に周章《あわ》てだした。最後の樽をなげつけてしまった彼は、ひらりと自動三輪車の上にとびのると、エンジンをかけた。そして鮮やかなハンドルの切り方でもって、ドンドン走りだした。
長吉は憤慨のあまり、下から石をぶっつけたが、どうしてそんなものが崖の上まで届くものではない。遂に蠅男は口惜しがる帆村と長吉とを谿底《たにぞこ》へ置いて山かげに姿を消してしまった。聞えていた飛行機のプロペラの音も、そのうちに何処ともなく聞えなくなった。
帆村と長吉とは、生命びろいをしたことに気がついた。そこで勇気をつけて、一旦下りた崖を、またエッチラオッチラと上っていった。十分で下りたところが、三十五分も懸ってやっと崖の上に匍いのぼれた。
二人は夕方の山道をトコトコと歩いていった。三十分ほどして、やっと一台のハイヤーが通りかかった。二人の老人の客が乗っていたけれど、無理に頼んでそれに乗せて貰い、蠅男の逃げていった有馬温泉の方角へ進撃していった。
有馬では、警察からまだ何の手配も出ていなかった。手配の電話が懸って来たのは、帆村が大阪への電話を申込んだその後からだった。手配の紙片が、それでも誰かに拾われたことか判った。しかしこうなってはすべてあとの祭りだった。なにしろ手配の自動車は山峡に落ちているのだから。
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