ージュを使っているのが、例の三原玲子さ」
「三原玲子?」帆村は初めて眼を天井から、群衆の方に移した。「おお、あの女が……」
 帆村はなにに駭いたか、私の腕をしっかり握って目を瞠《みは》った。私はその場の事情を解しかねたが、彼はどうやら玲子を前から知っていたらしい。
「おい出よう」
 いま入ったばかりなのに、帆村は私を無理やりに引張って外へ連れ出した。
 私はすくなからず不満だった。それを云うと、帆村は私を宥《なだ》めていった。
「興奮してはいけないよ。あの三原玲子という女は、例の暁団の一味なんだ。何を隠そう、ギロンで僕に密書を渡そうとしたのは正しくあの女なんだ」
「何だって? 玲子が暁団員……」
 何という意外なことだろう。人もあろうに玲子が暁団に関係しているとは。私はさっき門衛から聞き込んだことを思い合せた。こうなれば、早く帆村に知らせてやるほかない。
「僕は今暫く玲子に見られたくないのだ」と帆村は深刻な表情をして云った。「しかし彼女が例の女に違いないということをもっと確かめたい。どこかで写真を見せて呉れないかしら」
「さあ、――」
「とてものことに、動いているやつ――つまり活動写真で見たいね。試写室はどうだろう」
 試写室というわけにも行くまい。私は考えて、彼をフィルムの編集室へ連れてゆくのが一番簡単であり、そして自由が利くと思った。――それを云うと、帆村は満足げに、大きく肯いた。
 フィルム編集室は、スタディオからかなり離れたところにあった。そこに働いている連中とは前々からよく知り合っていた。
「桐花さんのフィルムを映してみせてくれないか、この人が見たいというので……」
 というと、木戸という編集員が出てきて、
「じゃあ、いま撮影中だけれど『銀座に芽《め》ぐむ』の前半を見せましょうか」と気軽に引受けてくれた。
 帆村と私とは、狭い編集用の試写室の中に入って黒いカーテンを下ろした。
「スタディオが出来て、録音がとてもよくなりましたよ……」
 木戸氏は映写函の中から、私たちに自慢をした。やがて小さいスクリーンに、ぶっつけるような音が起ると、現代劇「銀座に芽ぐむ」が字幕ぬきでいきなり映りだした。
 帆村は私の隣りで熱心に画面を見ているようだったが、三原玲子はなかなか現われてこなかった。そして暫くすると口を私の耳のところに寄せて囁《ささや》いた。
「ちょっと可笑しいことがあるぜ。……桐花カスミの声は実物より迚《とて》も良すぎるじゃないか。さっき聴いて知っているが、これはどうも桐花カスミの声ではないようだ」
 この質問には、実のところ私は、帆村の注意力の鋭いのに駭かされてしまった。
 本当のことを云えば――これは会社の大秘密であるけれども……、桐花カスミの悪声について一つのカラクリが行われているのだった。トーキー時代が来ると、桐花カスミの如きはまさに映画界から転落すべき悪声家だった。しかし実を云えば彼女は某重役の籠《かこ》い者であったから、そこを無理を云って、辛うじて転落から免れた。さりながら重役とても、会社の映画の人気がみすみす墜落してゆくのを傍観していられないから、そこでこのカラクリの手を考えた。――三原玲子は、実は桐花カスミの「声の代演者」だったのである。
 声の俳優――そして三原玲子は、会社の秘密の役を演じ、桐花カスミを助けていたのであった。それは何という奇異な役柄であったろう。そんなわけで、三原玲子の存在は、一般ファンには殆んど知られていなかったのである。――そのことを手短かに帆村に語ってやると、流石《さすが》の彼も感にたえかねたか、首を左右にふりながら、
「姿なき女優――はて、どこかで聴いた様な言葉だが……」
 と呟《つぶや》いた。


     4


 桐花カスミは、ミス銀座といわれる美人売り子に、三原玲子の方は不良の情婦で、裏町の小さいカフェに女給をしているというしがない役割で、一人の大学生をめぐって物語が伸びてゆくという中々いいところで、試写映画はぷつんと切れてしまった……。
「如何です。もう一本かけましょうか」
 木戸氏がにこにこして函から出てきた。私は帆村の顔を見た。――彼はじっと考えこんだ眼の焦点を急に合せ乍ら、
「……今の映画の終りの方に、変なところがありましたね。カフェの場、三原玲子さんなどの女給連総出で花見がえりらしい酔っぱらいをがやがや送って出るところで、画面がいきなり飛んで不連続になるところがありましたよ」
 と云い出した。
「そうですか」と木戸氏は怪訝《けげん》な顔をして云った。「はてな、すると先刻のやつと間違って接いでしまったのかな」
 木戸氏は函の中に入って、フィルムの入った丸い缶を持ちだした。そして手馴れた調子でぴらぴらとフィルムを伸ばしては窓の方に透《すか》してみるのであった。
「ああ
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