しょう」
「…………」帆村は余程感動したらしく、無言で頤《あご》をつねっていた。
私は、わが三原玲子が、たった半日の間に不思議な噂の中に浮きつ沈みつするようになったことを恐ろしく思った。果して彼女は「暁団」の団員であろうか。そして一体何のために、台辞を間違えたり、それからそのフィルムを盗まれたりするのだろう。それが何か錨健次の非業な最期や、暁団対黄血社の闘争に関係があるのだろうか。奇怪といえば奇怪であった。彼女に搦《から》まる「獏鸚」の謎は、どこまで拡がってゆくのだろう。
「木戸さん、三原さんの間違えたという台辞は今お判りでしょうか」と帆村が突然口を開いた。
木戸は肯くと、室を出ていったが、間もなく一冊の仮綴の台本を持ってきた。その表紙には「銀座に芽ぐむ」と大書せられてあった。
「ここですよ――」
彼が拡げたところを見ると、ガリ版の文字が赤鉛筆で消されていた。その文句は、玲子役の女給ナオミの台辞として、
「……まっすぐに帰るのよ。またどっかへ脱線しちゃいけないわよ。もしそうだったら、こんどうんと窘《いじ》めてやるから……」
と与えられているのに、トーキーで彼女が実際に喋った台辞の方は、「あらまそーお、マダム居ないの、騙《だま》したのね。外は寒いわ、正に。おお寒む」
というのであった。なるほど、これでは前後の台辞の続き工合がすこし変であった。
「これは面白い……」と帆村は手帖に書きとめて、
「……アラマソーオ、マダムイナイノ、ダマシタノネ、ソトハサムイワ、マサニ、オオサム……。これは面白いぞ」
としきりに面白がって、同じ文句を読みかえすのであった。
「帆村君、どうして台辞なんか間違えたんだろう」
「なあにこれは一種の暗号だよ。……『獏鸚』以上の隠し文句なんだ」帆村がそう云ったとき、俄かに入口の方にがやがやと人声がして、誰かこっちへ跫音も荒く、近づいて来る者があった。……。私は扉の方へ、振りかえった。
と、そこへ扉を排して現れたのは、私もかねて顔見知りの警視庁の戸沢刑事だった。
「これは……」と戸沢名刑事は帆村の方を呆れ顔で眺めてから、ぶっつけるように云った。
「帆村君、えらいことが起ったよ」
「えらいことって何です。戸沢さん」と帆村もちょっと突然の戸沢刑事の来訪に駭きの色を見せた。
「江東のアイス王、田代金兵衛が失踪したんだよ、今日解ったんだがね」
「あ
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