とがあるぜ。……桐花カスミの声は実物より迚《とて》も良すぎるじゃないか。さっき聴いて知っているが、これはどうも桐花カスミの声ではないようだ」
この質問には、実のところ私は、帆村の注意力の鋭いのに駭かされてしまった。
本当のことを云えば――これは会社の大秘密であるけれども……、桐花カスミの悪声について一つのカラクリが行われているのだった。トーキー時代が来ると、桐花カスミの如きはまさに映画界から転落すべき悪声家だった。しかし実を云えば彼女は某重役の籠《かこ》い者であったから、そこを無理を云って、辛うじて転落から免れた。さりながら重役とても、会社の映画の人気がみすみす墜落してゆくのを傍観していられないから、そこでこのカラクリの手を考えた。――三原玲子は、実は桐花カスミの「声の代演者」だったのである。
声の俳優――そして三原玲子は、会社の秘密の役を演じ、桐花カスミを助けていたのであった。それは何という奇異な役柄であったろう。そんなわけで、三原玲子の存在は、一般ファンには殆んど知られていなかったのである。――そのことを手短かに帆村に語ってやると、流石《さすが》の彼も感にたえかねたか、首を左右にふりながら、
「姿なき女優――はて、どこかで聴いた様な言葉だが……」
と呟《つぶや》いた。
4
桐花カスミは、ミス銀座といわれる美人売り子に、三原玲子の方は不良の情婦で、裏町の小さいカフェに女給をしているというしがない役割で、一人の大学生をめぐって物語が伸びてゆくという中々いいところで、試写映画はぷつんと切れてしまった……。
「如何です。もう一本かけましょうか」
木戸氏がにこにこして函から出てきた。私は帆村の顔を見た。――彼はじっと考えこんだ眼の焦点を急に合せ乍ら、
「……今の映画の終りの方に、変なところがありましたね。カフェの場、三原玲子さんなどの女給連総出で花見がえりらしい酔っぱらいをがやがや送って出るところで、画面がいきなり飛んで不連続になるところがありましたよ」
と云い出した。
「そうですか」と木戸氏は怪訝《けげん》な顔をして云った。「はてな、すると先刻のやつと間違って接いでしまったのかな」
木戸氏は函の中に入って、フィルムの入った丸い缶を持ちだした。そして手馴れた調子でぴらぴらとフィルムを伸ばしては窓の方に透《すか》してみるのであった。
「ああ
前へ
次へ
全19ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング