不安なのでございます。万一父が危害《きがい》を加えられてでもいるようですと、一刻《いっこく》も早く見付けて助け出したいのでございます。それで母と相談をして、お力を拝借《はいしゃく》に上《あが》ったわけなのでございます。どう思召《おぼしめ》しましょうか、父の生死《せいし》のほどは」
 トシ子嬢は語り終ると、ほんのり紅潮《こうちょう》した顔をあげて、帆村の判定を待った。
「さあ――」と帆村は癖で右手で長くもない顎《あご》の先をつまんだ。「どうもそれだけでは、河内園長の生死《しょうし》について判断はいたしかねますが、お望みとあらば、もう少し貴女《あなた》様からも伺《うかが》い、その上で他の方面も調べて見たいと思います」
「お引受け下すって、どうも有難とう存じます」トシ子嬢はホッと溜息《ためいき》をついた。「何なりとお尋《たず》ねくださいまし」
「動物園では大いに騒いで探したようですか」
「それはもう丁寧《ていねい》に探して下すったそうでございます。今朝、園にゆきまして、副園長の西郷さんにお目に懸《かか》りましたときのお話でも、念のためと云うので行方不明になった三十日の閉門《へいもん》後、手分けして園内を一通り調べて下すったそうです。今朝も、また更《さら》に繰返《くりかえ》して探して下さるそうです」
「なるほど」帆村は頷《うなず》いた。「西郷さんは驚いていましたか」
「はァ、今朝なんかは、非常に心配して居て下さいました」
「西郷さんのお家とご家族は?」
「浅草《あさくさ》の今戸《いまど》です。まだお独身《ひとり》で、下宿していらっしゃいます。しかし西郷さんは、立派な方でございますよ。仮《か》りにも疑うようなことを云って戴《いただ》きますと、あたくしお恨《うら》み申上げますわ」
「いえ、そんなことを唯今考えているわけではありません」
 帆村は今時《いまどき》珍らしい、日本趣味の女性に敬意と当惑《とうわく》とを捧《ささ》げた。
「それから、園長はときどき夜中の一時や二時にお帰宅《かえり》のことがあるそうですが、それまでどこで過していらっしゃるのですか」
「さァそれは私もよく存じませんが、母の話によりますと、古いお友達を訪ねて一緒にお酒を呑んで廻るのだそうです。それが父の唯一の道楽でもあり楽しみなんですが、それというのもそのお友達は、日露戦役《にちろせんえき》に生き残った戦友で、逢えばその当時のことが思い出されて、ちょっとやそっとでは別れられなくなるんだということです」
「すると園長は日露戦役に出征《しゅっせい》されたのですね」
「は、沙河《さか》の大会戦《だいかいせん》で身に数弾《すうだん》をうけ、それから内地へ送還《そうかん》されましたが、それまでは勇敢に闘いましたそうです」
「では金鵄勲章組《きんしくんしょうぐみ》ですね」
「ええ、功《こう》六級の曹長《そうちょう》でございます」応《こた》えながらも、こんなことが父の失踪に何の関係があるのかと、トシ子は探偵の頭脳《あたま》に稍《やや》失望を感じないわけにゆかなかった。
 しかし最後へ来て、この些細《ささい》らしくみえるのが、事件解決の一つの鍵となろうとは二人もこの時は夢想《むそう》だもしなかった。
「園長はそんなとき、帽子も上衣も着ないでお自宅《うち》にも云わず、ブラリと出掛けるのですか」
「そんなことは先ずございません。自宅に云わなくとも、帽子や上衣《うわぎ》は暖いときならば兎《と》に角《かく》、もう十一月の声を聞き、どっちかと云えば、オーヴァーが欲しい時節です。帽子や洋服は着てゆくだろうと思いますの」
「その上衣はどこにありましょうか。鳥渡《ちょっと》拝見したいのですが……」
「上衣はうちにございますから、どうかいらしって下さい」
「ではこれから直ぐに伺いましょう。みちみち古い戦友のことも、もっと話して戴《いただ》こうと思います」
「ああ、半崎甲平《はんざきこうへい》さんのことですか?」トシ子嬢は、父の戦友の名前を初めて口にしたのだった。


     2


 園長邸を訪ねた帆村は心痛《しんつう》している夫人を慰《なぐさ》め、遺留《いりゅう》の上衣を丹念に調べてから何か手帖に書き止めると、外《ほか》に園長の写真を一葉借り、園長の指紋を一通り探し出した上で地続《じつづ》きの動物園の裏門を潜《くぐ》ったのだった。
 西郷という副園長は、すぐ帆村に会ってくれた。あの西郷隆盛の銅像ほど肥《こ》えている人ではなかったが、随分《ずいぶん》と身体の大きい人だった。
「園長さんが失踪《しっそう》されたそうで御心配でしょう」
 と帆村は挨拶《あいさつ》をした。「一体いつ頃お気がつかれたのですか」
「全く困ったことになりましたよ」巨漢《きょかん》の理学士は顔を曇らせて云った。「いつ気がついたというこ
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