逢えばその当時のことが思い出されて、ちょっとやそっとでは別れられなくなるんだということです」
「すると園長は日露戦役に出征《しゅっせい》されたのですね」
「は、沙河《さか》の大会戦《だいかいせん》で身に数弾《すうだん》をうけ、それから内地へ送還《そうかん》されましたが、それまでは勇敢に闘いましたそうです」
「では金鵄勲章組《きんしくんしょうぐみ》ですね」
「ええ、功《こう》六級の曹長《そうちょう》でございます」応《こた》えながらも、こんなことが父の失踪に何の関係があるのかと、トシ子は探偵の頭脳《あたま》に稍《やや》失望を感じないわけにゆかなかった。
 しかし最後へ来て、この些細《ささい》らしくみえるのが、事件解決の一つの鍵となろうとは二人もこの時は夢想《むそう》だもしなかった。
「園長はそんなとき、帽子も上衣も着ないでお自宅《うち》にも云わず、ブラリと出掛けるのですか」
「そんなことは先ずございません。自宅に云わなくとも、帽子や上衣《うわぎ》は暖いときならば兎《と》に角《かく》、もう十一月の声を聞き、どっちかと云えば、オーヴァーが欲しい時節です。帽子や洋服は着てゆくだろうと思いますの」
「その上衣はどこにありましょうか。鳥渡《ちょっと》拝見したいのですが……」
「上衣はうちにございますから、どうかいらしって下さい」
「ではこれから直ぐに伺いましょう。みちみち古い戦友のことも、もっと話して戴《いただ》こうと思います」
「ああ、半崎甲平《はんざきこうへい》さんのことですか?」トシ子嬢は、父の戦友の名前を初めて口にしたのだった。


     2


 園長邸を訪ねた帆村は心痛《しんつう》している夫人を慰《なぐさ》め、遺留《いりゅう》の上衣を丹念に調べてから何か手帖に書き止めると、外《ほか》に園長の写真を一葉借り、園長の指紋を一通り探し出した上で地続《じつづ》きの動物園の裏門を潜《くぐ》ったのだった。
 西郷という副園長は、すぐ帆村に会ってくれた。あの西郷隆盛の銅像ほど肥《こ》えている人ではなかったが、随分《ずいぶん》と身体の大きい人だった。
「園長さんが失踪《しっそう》されたそうで御心配でしょう」
 と帆村は挨拶《あいさつ》をした。「一体いつ頃お気がつかれたのですか」
「全く困ったことになりましたよ」巨漢《きょかん》の理学士は顔を曇らせて云った。「いつ気がついたというこ
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