中の溶液を、そのまま下水へ流してしまうことにしました。急いで流せば、こんな静かなところだからそれと音を悟《さと》られるので、排水弁《はいすいべん》を半開《はんびらき》とし、ソロソロと園長の溶けこんだタンクの内容液を流し出したんです。しかしそれは一つの大失敗を残しました。流出速度が極めて緩慢《かんまん》だったために、園長の体内に潜入していた弾丸《たま》は流れ去るに至らず、そのまま襞《ひだ》の間に残留《ざんりゅう》してしまったんです。この弾丸というのは、園長が沙河《さか》の大会戦《だいかいせん》で奮戦《ふんせん》の果《はて》に身に数発の敵弾をうけ、後《のち》に野戦《やせん》病院で大手術をうけましたが、遂に抜き出すことの出来なかった一弾《いちだん》が身体の中に残りました。その一弾が皮肉《ひにく》にも棺桶《かんおけ》ならぬ此のタンクの中へ残ったわけなんです。本当に恐ろしいことですね。なお附け加えると、園長の金歯《きんば》は、大胆《だいたん》にも私の見ている前でビーカー中の王水《おうすい》に溶かし下水道へ流しました。万年筆や釦《ボタン》は鴨田さん自身が撒《ま》いたもので、これは犯罪者特有のちょっとした掻乱手段《そうらんしゅだん》です」
「出鱈目《でたらめ》だ、捏造《ねつぞう》だ!」
 鴨田は尚も咆哮《ほうこう》した。
「では已《や》むを得ませんから、最後のお話をいたしましょう」帆村は物静かな調子で云った。「この犯行の動機は、まことに悲惨《ひさん》な事実から出て居ます。話は遠く日露戦争の昔にさかのぼりますが、河内園長が満州の野に出征《しゅっせい》して軍曹《ぐんそう》となり、一分隊の兵を率いて例の沙河《さか》の前線《ぜんせん》、遼陽《りょうよう》の戦いに奮戦《ふんせん》したときのことです。其《そ》のとき柵山南条《さくやまなんじょう》という二等兵がどうした事か敵前というのに、目に余るほど遺憾《いかん》な振舞《ふるまい》をしたために、皇軍《こうぐん》の一角が崩れようとするので已《や》むを得ず、泪《なみだ》をふるって其の柵山二等兵を斬殺《ざんさつ》したのです。これは、軍規《ぐんき》に定めがある致方《いたしかた》のない殺人ですが、それを見ていた分隊中の或る者が、本国へ凱旋後《がいせんご》柵山二等兵の未亡人にうっかり喋《しゃべ》ったのです。未亡人は殺された夫に勝《まさ》るしっかり者で、その
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