帆村の話に聞き入った。
「この壺は博士のベッドだったんです。その整理形体に最も適したベッドだったんです。ところで、こんな身体で、どうして博士は往来を闊歩《かっぽ》されたか。いまその手足をごらんに入れましょう」
帆村は立って、壺の載っていた卓子《テーブル》の上に行った。そして台の中央部をしきりに探していたが、やがて指をもって上からグッと押した。するとギーッという物音がすると思うと、卓子の中からニョキリと二本の腕と二本の脚が飛び出した。それは空間に、博士の両腕と両脚とを形づくってみせた。
「ごらんなさい。あの壺の蓋が明いて、博士の身体がバネ仕掛《じか》けで、この辺の高さまで飛び出して来たとすると、電磁石の働きで、この人造手足がピタリと嵌《はま》るのです。しかしこの動作は、博士が壺の底に明いている穴から、卓子《テーブル》の上の隠し釦《ボタン》を押さねばなりません。押さなければ、この壺の蓋も明きません。博士が餓死をされたのは、睡っているうちにこの壺が卓子《テーブル》の上から下ろされた結果です」
一座は苦しそうに揺《ゆら》いだ。
「しかし博士は、何かの原因で精神が錯乱せられた。そしてあの兇行《きょうこう》を演じたのです。小さいパイプの中を抜けることは、その手足を一時バラバラに外し、一旦向う側へ抜けた上、また元のように組立てれば、苦もなく出来ることです。それを考えないと、あの金庫の部屋に忍びこんだことが信ぜられない。これで私の説が滑稽でないことがお判りでしょう」
やがて帆村は一同を促《うなが》して退場をすすめた。
「あの夫人はどうしたろう?」
と部長が、あたしのことを思い出した。
「魚子夫人はアルプスの山中《さんちゅう》に締《し》め殺してあると博士の日記に出ています。さあ、これからアルプスへ急ぐのです」
人々はゾロゾロと室を出ていった。
「待って!」
あたしは力一杯に叫んだ。しかしその声は彼等の耳に達しなかった。ああ、馬鹿、馬鹿! 帆村探偵のお馬鹿さん! ここにあたしが繋《つな》がれているのが判らないのかい。夫は、あの井戸の蓋の穴から逃げ出したのだ。呪《のろ》いの大石塊《だいせっかい》は、彼に命中しなかったのだ。ああ今は、あたしには餓死だけが待っている。お馬鹿さんが引返して来る頃には、あたしはもう此の世のものじゃ無い。夫が死ねば、妻もまた自然に死ぬ! 夫の放言《ほうげん》が今死に臨《のぞ》んで、始めて合点《がてん》がいった。夫はいつか、こんなことの起るのを予期《よき》していたのか知れない。あたしもここで、潔《いさぎよ》く死を祝福しましょう!
底本:「海野十三全集第2巻・俘囚」三一書房
1991(平成3)年2月28日第1版第1刷発行
入力:田浦亜矢子
校正:もりみつじゅんじ
2000年1月10日公開
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