険を志願するものがたくさん出てきて、佐伯船長もどうしてよいやらすくなからず困った。彼等は、幽霊船の出てくる前には、飢《う》えと渇《かわ》きとで、病人のようにへたばっていたのに、いまは戦士のように元気にふるい立っている。大雷雨も波浪も、必ず近よるなという注意書のあったおそろしい幽霊船も、彼等には大しておそろしいものではなくなったらしい。佐伯船長は、この様子を見ていたが、このとき大きく肯《うなず》き、
「よし、みんなのいうことは、よくわかった。では、あの幽霊船へ探険隊をやることにする」
二|艘《そう》のボートの中からは、どっと悦《よろこ》びの声があがった。
「いまから命令を出す。古谷局長を隊長とし、二号艇の全員は探険隊として、直ちに出発! 一号艇は、予備隊としてしばらく海上から幽霊船の様子を見ていることにする」
それをきいて、悦ぶ者と、不満の舌うちをする者。
「これ、さわいでいる場合ではない。ぐずぐずしているうちに幽霊船が遠くへいってしまうぞ。おい、二号艇、すぐ出発だ!」
決死の探険隊
「おい、なんでもいいから、護身用になる木片《きぎれ》でもナイフでも用意しろ。貝谷は銃を大切にしろ。銃は一挺しかないんだからな」
古谷無電局長は、探険隊長を命ぜられて、たいへんなはりきり方だ。彼は可愛がっていた丸尾技士のためにも、すすんでこの探険隊に加わりたいところだったのだ。
「さあ、用意はできたね。では探険隊出発! 漕《こ》げ! お一チ、二イ、お一チ、二イ」
古谷局長の指揮のもとに、ボートは大雨の中を矢のように波頭をつらぬいてすすむ。そのとき幽霊船はと見れば、嵐の中にまるで降りとめられたようにじっとうごかない。巨象が行水《ぎょうずい》しているようでもある。船体からは、例の青白い燐光《りんこう》がちらちらと燃《も》えている。さすがにものすさまじい光景で、櫂をにぎるわが勇士たちの腕も、ちょっとにぶったように見えたが、それも無理のないことであった。
「おい、しっかり漕げ! 生命《いのち》の惜しい奴は、今のうちに手をあげろ。すぐ一号艇へ戻してやる」
もちろん誰も手をあげる者はいない。えいやえいやと、また懸《か》け声《ごえ》がいさましくなった。
「そこだ。しっかり漕げ。貝谷、銃を構えていろ。――そこでこのボートを幽霊船の船尾にぶらさがっている縄梯子《なわばしご》の下へつける。おれがのぼったら、お前たちもあとからついてのぼれ」
やがてボートはぐんぐんと幽霊船の下に近づいていった。見上げるような巨船だ。すっかり錆《さび》が出ているうえに、浪《なみ》に叩かれてか、船名さえはっきり読めない。しかしとにかく外国船であることはたしかである。
なにしろ驟雨《しゅうう》はまだおさまらず、波浪が高いので、ボートはいくたびか幽霊船に近づきながら、いくたびとなく離れた。
「えい!」いくど目であったかしらぬが、とうとう古谷局長は、身をおどらせて船と船との間を飛んだ。綱梯子は大きく揺れているが、局長の身体はそのうえに乗っている。
「おい、はやく漕ぎよせろ。局長を見殺しにしちゃ、おれたちの顔にかかわる」
「ほら、いまだ。とびうつれ」
なぜか船尾から、綱梯子が三条も垂れていた。二号艇の勇士たちは、つぎつぎに蛙のように、この綱梯子にとびついた。貝谷も銃を背に斜めに負うたまま、ひらりと局長のとなりの梯子にとびつき、そのままたったっと舷側《げんそく》へのぼっていった。彼は一番乗りをするつもりらしい。
「おい貝谷、油断をするな」
早くもそれをみとめて、古谷局長が声をかけた。局長は白鞘《しろざや》の短刀を腰にさしている。あと舷側まで、ほんの一伸《ひとの》びだ。おそれているわけではないが、胸が躍る。局長は、ひょいと身体をかるく浮かして、舷側に手をかけた。そしてしずかに頭をあげていった。
「見えた、甲板《かんぱん》だ」古谷局長は、舷側ごしに甲板をながめ、「ふーん、やっぱり誰もいない」
「局長、甲板に人骨が散らばっています。あそこです。おや、こっちにも。……ち、畜生、どうするか覚えていろ!」と貝谷が叫んだ。
「なるほど、こいつは凄い。幽霊というやつが、こんなに荒っぽいものだと知ったのは、こんどが始めてだ」
船内の怪光
嵐の勢いがおとろえ、雨はだいぶん小やみになった。怪船の舷側に、鈴なりになっている二号艇の面々は、もう突撃命令がくだるかと、めいめいにナイフや棒切を握って、身体をかたくしている。
「さあ、突撃用意!」古谷局長が、いよいよ号令をかけた。
「船内捜索のときは、必ず二人以上組んでゆけ。一人きりで入っていっちゃ駄目だぞ。まずおれたちは船橋《ブリッジ》を占領する。そこで十分間たっても異状がなかったら、手をあげるから、こんどはみんなで船内捜索だ」
そういい捨てるようにして、局長は舷側を身軽くとび越え、甲板のうえに躍りあがった。つづいて、銃を持った貝谷が、甲板上の人となる。残りの艇員たちは、場所をさらに上にうつして、舷側越しに、両人の行動をじっと注視する。そのとき、また空が暗くなって、白い雨がどっと降ってきた。甲板を這《は》う局長と貝谷の姿が痛ましく雨にたたかれ、ぼーっと霞む。
「突進だ」古谷局長は、貝谷をうながすと、脱兎《だっと》のように駈《か》けだした。そして船橋につづく狭い昇降階段をするするとのぼった。
「やっぱり誰もいないですね」貝谷は雨に叩かれている船橋をじっとみまわした。
「局長、どうもさっきから気になっているんだが、妙なものがありますぜ。あれをごらんなさい」貝谷は、船橋のうえを気味わるそうに指した。
「雨に洗われて、うすくしか見えませんが、血の固まりを叩きつけたようなものが、点々としているのではないですか」
「そうです。もしここが陸上なら、いやジャングルなら、猛獣の足跡とでもいうところでしょうな」
「ふん、冗談じゃないよ。ここは海の上じゃないか」
といったが、古谷局長も貝谷の指した妙な血の斑点《はんてん》がなんであるか、解くことができなかった。そのうちに、予定の十分間はいつの間にか経ってしまった。
「局長、舷側のところで、みんなが局長の信号を待っていますぜ」
「ああ、そうか。じゃあ、いよいよ船内を探してみることにしよう」
そういって局長は、待っている一同の方へ手をあげて、懸《かか》れの合図をおくった。待っていましたとばかり、一同はどやどやと甲板上に躍りあがった。
「おい貝谷。船室の方へいってみよう」二人は船室の方へ下りていったが、どの室の扉も壊れたり、または開いていて、室内はたとえようもなく乱れている。
「一体ここの船客たちは、どうしたんだろうね」
「幽霊に喰い殺されちまったんですよ」
「そうかなあ、それにしてはあまりに惨状がひどすぎるよ。ふん、ひょっとすると、この汽船の中に、恐ろしい流行病がはやりだして、全員みんなそれに斃《たお》れてしまったのではないかな」
「えっ、流行病ですって」貝谷の顔色はさっと変った。
「そうだ、そうかもしれない。たとえば、ペストとか、或いはまた、まだ人間が知らないような細菌がこの船内にとびこんでさ、薬もなにも役に立たないから、皆死んでしまったというのはどうだ」
「しかし局長、人骨だけ残っていて、満足な人体が残っていないのはどういうわけですかな」
そういっているうちに、二人は船橋へ通ずる階段のところへ出た。そのとき下の船艙《せんそう》から、なにかことんと物音がしたのを、二人は同時に聞きとがめた。その妙な物音は、ずっと下の船艙からきこえる。二人はその物音を追ってついに二番船艙の底まではいりこんだ。あたりは電灯も消えて真暗であった。が、どこからともなく吹いてくる血なまぐさい風!
「あっ、あんなところに、なにかキラキラ光っているものがある!」
と、貝谷が局長の腕をぐっと引寄せた。
解けた怪異《かいい》
幽霊船の中に潜んでいた謎は、一体なんであったろうか。船艙のくらがりの中から聞えるごとごとという怪音、それにつづいてキラキラと光った物!
銃をもった貝谷は、隊長古谷局長の腕をとらえ、
「局長、あれをごらんなさい。光る物は二つならんでいます。あれは動物の眼ですよ」
「どこだい。よく見えないが……」
といっているとき、うおーっという呻《うな》りごえ。
「局長、一発撃たせてください。そうしないと、こっちがやられてしまいます」
「じゃあ、……」
局長の言葉半ばにして、だーんと銃声がひびいた。貝谷がとうとう狙いをさだめて撃ったのである。闇の中に、たしかに手応《てごた》えがあった。それっきり呻《うな》り声はしなくなった。
「どうしたんだろうなあ、貝谷」
「局長。うまく仕とめたんです。そばへいってみましょう」
局長と貝谷とは残りすくない貴重なマッチをすって、そばに近づいた。そこには大きな愕きが、二人を待っていた。
「あっ、豹《ひょう》だ! 黒豹が死んでいる!」
船艙の隅に、小牛ほどもあろうという大きな黒豹が、見事に額を撃ちぬかれて、ぐたりと長くのびていた。
「ああ、もうすこしで、こいつに喰われてしまうところだった」
「貝谷。お前の腕前には、感心したよ。いや、感心したばかりではない。危いところで生命を助けてもらったことを感謝するぞ。だが――」
と、いって、局長は大きな呼吸をして、
「おい貝谷。これで幽霊船の秘密が解けたではないか」
「えっ、幽霊船の秘密だといいますと……」
「ほら、甲板だの船橋《ブリッジ》だのに、人骨がちらばっていたことさ。つまりこの幽霊船には、檻《おり》を破った猛獣が暴れていたんだ。そして船員を片っ端から喰いあらしていたのにちがいない」
「ああ、なるほど。猛獣だから、人間の肉をすっかり綺麗に喰べつくし、骨だけ残していたというわけですか。そうかもしれませんねえ」
といったが、雨の甲板や船橋のうえについていた大きな丸味のある血痕《けっこん》は、この黒豹の足跡だったと、今にして二人は思いあたったことである。全く恐ろしいことだ。航海中の汽船の中に、猛獣が暴れだして、船員を喰べた。大海に漂う船の中だから、逃げだすこともどうすることもできなかったのであろう。
「ねえ局長。船内をあらしまわって人間を喰った黒豹というのは、いま撃ちとめたこの一頭だけでしょうか」
「さあ、どうだか」と局長はいったが、「どうも一頭だけとは考えられないね。なにしろ、あのとおり人骨が散らばっているところをみても、この一頭だけの仕業だとは考えられないよ」
「じゃあ、外の奴を警戒しなければなりませんね」
「そうだ、どっかその辺に潜んでいる奴があるかもしれない」
そういっているとき、甲板の方とおもわれる見当で、とつぜん、うわーっと誰かの悲鳴!
「あっ、誰かが……」
「うむ、猛獣が出たのかもしれない。すぐいってやろう。貝谷、続け!」
古谷局長は、短剣を手に、船艙から甲板へ通じる階段をまっしぐらに駈けあがる。
心細い弾丸《たま》
甲板へ出てみると、そこには想像した以上の、たいへんな光景が展開していた。古谷局長のつれてきた二号艇の連中が、檣《マスト》の上に鈴なりになって、しきりに下を向いて喚《わめ》いている。
「あっ、局長。いますいます、猛獣が五六頭います」
「えっ、どこにいる?」
と、いっているところへ、うおーっと一声呻り声をあげて近づいてきた一頭のライオン。
「あっ、危い!」という間もなく、ライオンは局長と貝谷の上をとびこえて、檣の下へ――。
そこには、さっきから五六頭のライオンが入りみだれて、檣にのぼっている和島丸の船員をしきりに狙っている。
「うーむ、これは困った。銃一挺では、どうすることもできない」
と、古谷局長は嘆声《たんせい》を発した。
「でも局長。あと弾丸は五発ありますから、弾丸のあるだけ撃ってみましょう」
貝谷は、もう覚悟をきめていた。
「待て! 五発の弾丸を撃ったあとを考えると、そう簡単に撃つわけにいかないぞ。弾丸がなくなれば、われわれもまた、この汽船の乗組員と同じ運命に陥
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