つぜん大ごえをあげた。
「おーい、あれを見ろ。へんなものが浮いているぞ」
探照灯は、さっそくその方へむけられた。
なるほどへんなものが、波にゆられながら、ぷかぷか浮いている。
木片《もくへん》を井桁《いげた》にくみあわせた筏《いかだ》のよなものであった。そのうえになにが入っているのか函《はこ》がのっている。
そのとき船員は、舳にかけつけていた。
「おい、ボートをおろして、あれを拾ってこい」
待ちかまえていた連中は、早速《さっそく》ボートを、どんと海上に下ろした。
ボートは矢のように、怪しい漂流物の方へ近づいた。そして苦もなくその浮かぶ筏を、ロップの先に結びつけた。
そしてボートは、再び本船へかえってきた。
船員は、また力をあわせ、ボートをひきあげるやら、その怪しい筏をひっぱりあげるやら、ひとしきり勇《いさま》しい懸《か》けごえにつれ、船上は戦争のような有様だった。函を背負った筏は、船長の前に置かれた。
「これは一体なんだろう。いいからこの函を開けてみろ!」
船長は、決然と命令をだした。函は蜜柑函《みかんばこ》ぐらいの大きさで、その上に小さい柱が出ていた。蓋《ふた》をとってみると、意外にも中から小型の無電器械がでてきた。
「おや、無電器械じゃないか」
と船員は呟《つぶや》いたが、函の中には、さらにおどろくべきものが入っていた。船長はじめ船員たちが呀《あ》っと叫んで真蒼《まっさお》になるようなものが入っていたのだ。一体それはなんであろうか!
黒リボンの花輪
そのおどろくべき品物は、油紙《あぶらがみ》につつまれて函の隅《すみ》にあったので、はじめは気がつかなかったのだ。
佐伯船長が、つと手をのばして、油紙につつまれたものをもちあげたとき、待っていたように油紙はばらりととけ、その中からぽとんと下におちたものは一個の小さな花輪であった。
その花輪は、ちかごろ流行の、乾燥した花をあつめてつくってあるもので、色は多少あせていたが、それでも結構うつくしいので眼を楽しませたし、そのうえいつまでおいても、けっして萎《しぼ》まないから、便利なこともあった。
「ああ、花輪だ!」
と、船員たちは、その方に一せいに眼をむけたが、とたんに誰の顔も、さっと青くなった。
「なんだ、その花輪には、黒いリボンがむすんであるじゃないか。縁起《えんぎ》でもない!」
黒いリボンは、お葬式のときにだけつかう不吉《ふきつ》なものだった。その不吉な黒リボンが花輪にむすびつけてあるのだから、佐伯船長以下一同がいやな顔をしたのも無理ではない。
「ほう、まだなにか書いたものがつけてある」
佐伯船長は、函の底に、一枚のカードがおちているのをつまみあげた。
見ると、そとには妙な字体の英語でもって、
「コノ花輪ヲ、ヤガテ海底《かいてい》ニ永遠《えいえん》ノ眠リニツカントスル貴船乗組《きせんのりくみ》ノ一同ニ呈ス」
と書いてある。なんというひどい文句だろう。これを読むと、お前の船にのっている者は、みんな海底に沈んでしまうぞという意味にとれる。
「け、けしからん」
見ていた船員たちは、拳《こぶし》をかためて、怒りだした。
だが、さすがに佐伯船長は、怒るよりも前に、和島丸の危険を感づいた。
「おい、みんな。これは遭難の前触《まえぶ》れに決った。お前たちは、すぐ部署《ぶしょ》につけ。おい事務長|銅羅《どら》をならして、総員配置につけと伝達しろ」
船長のこえは、疳《かん》ばしっていた。
さあたいへんである。船長の言葉が本当だとすると、もうすぐなにごとか災難がこの和島丸のうえにくるらしい。折《おり》も折、このまっくらな夜中《よなか》だというのに、なんということだろう。
「さあ、甲板《かんぱん》へかけあがれ」
「おい、こっちは機関室へいそぐんだ」
船員たちは、樹《き》と樹の間をとびまわる猿の群のように、すばしこく船内をかけまわる。
「探照灯や室の外にもれる明かりを消せ。目標となるといけない」
船長は、つづいて第二の号令をかけた。
探照灯は消された。窓は、黒い布《きれ》でふさがれた。たちどころに灯火管制ができあがった。やれやれと思った折しも、船の底にあたって、ごとんと、ぶきみな物音がして、船体ははげしく揺れた。
「あっ、今のは何だ」
船員が顔を見合わせたその瞬間、船底から轟然《ごうぜん》たる音響がきこえた。そして和島丸は、大地震にあったようにぐらぐらと揺れた。
「ああっ、やられた。爆薬らしい」
船長はその震動でよろよろとよろめいたが、机にとびついて、やっと立ちなおった。そこへ一人の船員が、胸のあたりをまっ赤にそめて、とびこんできた。
「あっ船長。たいへんです。船底に魚雷らしいものが命中しました。大穴があきました。防水中ですが、うまくゆくかどうか。あと二三分で、本船は沈没いたします」
たいへんな報告であった。
灯火管制が、もう五分も早かったら、こんなことにならなかったかもしれないのだ。
佐伯船長は、首をあげて、ぐっとうなずいた。
「ボート、おろせ!」
悲壮な命令が下った。
青白い怪船
そういううちにも、和島丸の破られた船底からは、おびただしい海水が滝のようにながれこんで、船体は見る見る海面下にひきこまれてゆく。
「やあ、ひどく傾《かたむ》いたぞ。そっちのボートを早くおろせ」
暗《やみ》の中から、どなるこえがきこえる。
船上には、ふたたび探照灯がついた。誰か分らないが、もう船が沈もうというのに、その探照灯をくるくるまわして、海面をさがしている者があった。
このような騒《さわ》ぎを経《へ》て、あわれ和島丸は、わずか四分のちには波にのまれて沈んでしまった。
海上は、まっ暗で、なにがなんだかわからない。救命ボートが四隻《よんせき》、しずかにうかんでいる。
ごぼごぼどーんと、うしろではげしい音がしたが、これが和島丸の最後のこえのようなものだった。機関の中に海水がながれこんでその爆発となったものであろう。水柱が夜目にも、ぼーっとうすあかるく立って、ボート上の船員たちの胸をかきみだした。
なにゆえの無警告の撃沈であろう。
暗さは暗し、なに者の仕業だか、一向《いっこう》にわからない。佐伯船長は、第一号のボートにのってじっと唇をかんでいた。
「船長、ボートは全部無事です。第一、第二、第三、第四の順序にずっとならびました」
事務長が、暗がりのなかから報告した。さっきから、ボートのうえで手提信号灯《てさげしんごうとう》がうちふられていたが、全部のボートが無事勢ぞろいをしたことを伝えたものであろう。
「そうか。では前進。針路は真東《まひがし》だ」
えいえいのかけごえもいさましく、四艘《よんそう》のボートは、暗い海上をこぎだした。
「おい古谷局長」
船長が、無線局長をよんだ。
「はあ、ここに居ります」
古谷局長も、いまは一本のオールを握って、一生けんめいに漕《こ》いでいる。
「本船の救難信号は、無電で出したろうね」
「はあ、最後まで正味《しょうみ》三分間はありましたろう。その間、頑張って打電しました」
「どこからか応答はなかったかね」
「それが残念にも、一つもないので――」
「こっちの無電は、たしかに電波を出しているのだろうね」
「それは心配ありません。なにしろ打電している時間が短いものですからそれで返事が得られなかったものと思われます」
「ふーむ」
このうえは、救難信号をききつけたどこかの汽船が、一刻もはやくこの地点に助けに来てくれるのをまつより外はない。さっきまでは、こっちが遭難船を助けに急いだのに、今はその逆になって、こっちが助けを呼ぶ身となった。なんという逆転だろう。
「おい古谷局長」しばらくして、船長はふたたび局長をよんだ。
「はあ、ここに居ります」
「さっき本船から無電したとき、本船が魚雷《ぎょらい》に見舞われたことを打電したかね」
「はあ、それは本社宛の電報に、とりあえず報告しておきました。銚子局《ちょうしきょく》を経て、本社へ届くことでしょう」
「そうか。それはよかった」
船長の声が、暗闇の中に消えた。洋上は、すこし風が出てきた。舷《ふなばた》から、波がしきりにぱしゃんぱしゃんと、しぶきをあげてとびこむ。
「さあ、元気を出して漕ぐんだ。あと二時間もすれば、夜が白むだろう」
事務長は、大きなこえで、一同に元気をつけた。そのときであった。
「あっ、船が! 大きな船が通る」
「えっ、大きな船が通るって、それはどこだ?」
「あそこだ。あそこといっても見えないかもしれないが、左舷前方《さげんぜんぽう》だ」
「えっ、左舷前方か」
一同は、その方をふりかえった。なるほど暗い海上を、船体を青白く光らせた船の形のようなものが、すーうと通りすぎようとしている。
「あっ、あれか。かなり大きな船じゃないか。呼ぼうや」
「待て。うっかりしたことはするな。第一あの船を見ろ。無灯で通っているじゃないか。あれじゃないかなあ。和島丸へ魚雷をぶっぱなしたのは」
「ふん、そうかもしれない。すると、うっかり呼べないや」
火花《ひばな》する船腹《せんぷく》
佐伯船長も、おどろく眼で、その青白く光る怪船をじっと見つめていた。
ふしぎな船もあるものだ。まるで幽霊船が通っているとしか見えない。
「船長、試《こころ》みにあの船を撃《う》ってみてはどうでしょうか。ここに一挺《いっちょう》小銃を持ってきています」
小銃で幽霊船を撃ってみるか。それもいいだろう。しかし万一あれが本当の幽霊船でなく、どこかの軍艦ででもあったとしたら、そのときはこっちはとんだ目にあわなければならない。
「まあ待て。決して撃つな」
船長は、はやる船員をおさえた。そのとき第二号のボートが船長ののっている第一号艇にちかづいて、しきりに信号灯をふっている。
「船長、第二号艇から信号です」
「おお、なんだ」
「無電技士の丸尾からの報告です。さっき彼は檣《マスト》のうえから探照灯で洋上をさがしたところ、附近海上に一艘の貨物船らし無灯の船を発見した。その船が今左舷向こうを通るというのです」
「そうか。分かったと返事をしろ」
船長は大きく肯《うなず》いた。怪しい船だ。船長は、なおもじっと、通りすぎようとする青白い怪船のぼんやりした形を見守っていたが、なに思ったか、
「おい、小銃を持っているのは貝谷《かいたに》だったな」
「はい、貝谷です」
「よし貝谷。かまうことはないからあの船へ一発だけ小銃をうってみろ。吃水《きっすい》よりすこし上の船腹を狙《ねら》うんだ」
「はい、心得ました」
しばらくすると、どーんと銃声一発|汐風《しおかぜ》ふく暗い洋上の空気をゆりうごかした。射程《しゃてい》はわずかに百メートルぐらいだから、見事に命中である。
船長はじっと怪船の方をみつめていたが、弾丸《たま》が怪船の船腹に命中してぱっと火花が散ったのを認めた。
「ははあ、そうか。幽霊船だと思ったが、弾丸があたって火花が出るようでは、やはり本物の鉄板を張った船なんだ。じゃあ、今にあの船は、騒ぎだすだろう。おいみんな、油断するな」
船長は声をはげましていった。だが、ボートから撃たれた怪船は、しーんとしずまりかえって、今や前方をすーっと通りすぎてゆく。
「これはへんだな」と、船長は小首をかしげた。船長の考えでは、小銃でうたれたのだからいくら寝坊でも甲板へとびあがってきて、こっちへむいて騒ぐだろうと思ったのに、それがすっかりあてはずれになった。彼は思いきって、次の決心をしなければならなかった。
「おい、貝谷居るか」
「はい、居りますよ。もっと撃ちますか」
「うん、撃て。私が号令をかけるごとに一発ずつ撃って見ろ。狙いどころは、さっきとおなじところだ」
「よし。ではいいか。一発撃て!」
どーんと、はげしい銃声だ。弾丸はかーんと船腹にあたってまたちかっ[#「ちかっ」に傍点]と火花がでた。だが青白い怪船は、やはり林のようにしずかであった。
「もう一発だ。撃て!」
そうして三発の
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