の家のことや母親のことや、それから友だちのことなどもすっかり忘れて、気軽なたましい[#「たましい」に傍点]の生活をたのしんでいた。
 いつも寝起きしていた枯草の山が、トラックの上へ移しのせられ、どこかへはこばれていく。それを見た隆夫のたましいは、いっしょにそのトラックに乗って行ってみようと思った。
 その日は、天気が下り坂になって来て風さえ出て来たので、農夫たちは急いで枯草《かれくさ》を車へのせ、その上をロープでしっかりしばりつけた。それから荷主の農夫が、パイプをくわえたまま、トラックの運転手にいった。
「とにかくカッタロの町へはいったら、海岸通《かいがんどおり》のヘクタ貿易商会《ぼうえきしょうかい》はどこだと聞けば、すぐに道を教えてくれるからね」
「あいよ。うまくやってくるよ」
 トラックは走りだした。
 隆夫のたましいは、枯草の中へ深くもぐりこんで、しばらく睡ることにした。車が停ったら、起きて出ればよいのだ。そのときはカッタロの町とかへ、ついているはずだ。
 たましいは、ぐっすり寝こんだ。
 運転手の大きな声で、目がさめた。枯草をかきわけて出てみると、なるほど町へついていた。古風《こふう》な町である。が、町の向うに青い海が見える。港町だ。
 港内には、大小の汽船が七八|隻《そう》碇泊《ていはく》している。西日が、汽船の白い腹へ、かんかんとあたっている。
 トラックが、また走りだした。
 港の方を向いて走る。隆夫のたましいは、車上からこの町をめずらしく、おもしろく見物した。革命と戦火にたびたび荒されたはずのこの港町は、どういうわけか、どこにも被害のあとが見られなかった。そしてどこか東洋人に似た顔だちを持った市民たちは、天国に住んでいるように晴れやかに哄笑《こうしょう》し微笑し空をあおぎ手をふって合図をしていた。婦人たちの服装も、赤や緑や黄のあざやかな色の布《ぬの》や毛糸を身につけて、お祭の日のように見えた。
 そのうちにトラックは、海岸通へ走りこんで、ヘクタ貿易商会の前に停った。枯草は、この商会が買い取るらしい。そのような取引を、隆夫のたましいは見守っていたくはなかった。彼は、今しも岸壁《がんぺき》をはなれて出港するらしい一隻の汽船に、気をひかれた。
 彼は燕《つばめ》のように飛んで、その汽船のマストの上にとびついた。ゼリア号というのが、この汽船の名だった。五百トンもない小貨物船であった。
 それでも岸壁には、手をこっちへ振っている見送り人があった。船員たちが、ハンドレールにつかまって、帽子をふって、岸壁へこたえている。煙突《えんとつ》のかげからコックが顔を出して、ハンカチをふっている。隆夫のたましいが、つかまっているマストの綱《つな》ばしごにも、二三人の水夫がのぼって、帽子を丸くふっていた。かもめでもあろうか、白い鳥がしきりに飛び交っている。その仲間の中には、隆夫のたましいのそばまで飛んできて、つきあたりそうになるのもいた。
「港外まで出ないと、ごちそうを捨ててくれないよ」
「早く捨ててくれるといいなあ。ぼくは腹がへっているんだ」
 かもめは、そんなことをいいながら、この汽船が海へ捨てるはずの調理室《ちょうりしつ》の残りかすを待ちこがれていた。
 隆夫のたましいは、久しぶりにひろびろとした海を見、潮《しお》のにおいをかいで、すっかりうれしくなり、いつまでも眺めていた。白い航跡《こうせき》が消えて、元のウルトラマリン色の青い海にかえるところあたりに、執念《しゅうねん》ぶかくついてきた白いかもめが五六羽、しきりに円を描いては、漂流《ひょうりゅう》するごちそうめがけて、まい下りるのが見られた。
 船の舳《とも》が向いている方に、ぼんやりと雲か島か分らないものが見えていたが、それは陸地だと分った。左右にずっとのびている。そうだ、あれだ、イタリア半島なのだ。するとこの船はイタリア半島のどこかの港にはいるのにちがいない。一体どこにつくのだろうか。
 隆夫のたましいは、もうすっかり大胆《だいたん》になっていたので、マストをはなれて下におりてきた。
 そして船橋《せんきょう》へとびこんだ。そこには船長と運転士と操舵手《そうだしゅ》の三人がいたが、誰も隆夫のたましいがそこにはいってきたことに気のつく者はいなかった。
 その運転士が、航海日記をひろげて、何か書きこんでいるので、そばへ行って見た。その結果、この汽船は、対岸《たいがん》のバリ港へ入るのだと分った。
 やがてバリ港が見えてきた。
 小さな新興《しんこう》の港だ。カッタロ港とは全然おもむきのちがった港だった。そのかわり、町をうずめている家々は、見るからに安普請《やすぶしん》のものばかりであった。戦乱《せんらん》の途中で、ここを港にする必要が出来て、こんなものが出来上ったらしい。殺風景
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