おろした。機会は今後に残されているのだ。それなれば、ミイラのような醜骸《しゅうがい》を借りて日本へ戻って来た甲斐はあるというものだ。
「……死にはいたしませぬが、少々|不始末《ふしまつ》があるのでございます」
「不始末とは」
「ああ、こんなところで立ち話はなりませぬ。さ、うちへおはいりになって……」
「待って下さい。わしにはひとりの連《つ》れがある。その方はわしの恩人です。わしをこうして無事にここまで送って来て下すった大恩人なんだ。その方をうちへお泊め申さねばならない」
母親はおどろいた。治明博士の呼ぶ声に、隆夫は闇の中から姿をあらわし、なつかしい母親の前に立った。
(ああ、いたわしい)
母親は、しばらく見ないうちに別人のようにやせ、頭髪には白いものが増していた。
「レザールさんとおっしゃる。日本語はお話しにならない。尊《とうと》い聖者でいらっしゃる。しかしお礼をのべなさい。レザールさんは聖者だから、お前のまごころはお分りになるはずである」
母親はおそれ入って、その場にいくども頭をさげて、夫の危難を救ってくれたことを感謝した。
隆夫はよろこびと、おかしさと、もの足りなさの渦巻《うずまき》の中にあって、ぼーッとしてしまった。
その後の物語
昔ながらの親子三人水いらずの生活が復活した。だが、それは奇妙な生活だった。これが親子三人水いらずの生活だということは、治明博士と隆夫だけがわきまえていることで、母親ひとりは、その外におかれていた。世間のひとたちも、一畑《いちはた》さんのお家は、ご主人が帰ってこられ、奥さんはおよろこびである。ご主人がインド人みたいなこわい顔のお客さんを引張ってこられて、そのひとが、あれからずっと同居している――と、了解《りょうかい》していた。
隆夫は、めったに主家《おもや》に顔を出さなかった。それは治明博士が隆夫のために、例の無電小屋を居住宅《すまい》にあてるよう隆夫の母親にいいつけたからである。そこに居るなら、隆夫は寝言《ねごと》を日本語でいってもよかった。なにしろ、事件がうまい結着《けっちゃく》をみせるまでは、母親をもあざむいておく必要があったから、隆夫はなるべく主家へ顔出しをしないのがよかったのである。隆夫には、たいへんつらい試練《しれん》だった。
もう一人の隆夫は、どうしていたろう。隆夫の肉体を持った霊魂第十号は、
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