はただの一人も見えなかった。残っているのは、聖者ただひとりであった。
「ああ、聖者……」
「分っている。わしについて来《きた》れ」
 聖者は博士の願いについて一言も聞かず、自分のうしろに従《したが》い来れといったのだ。博士は、奇蹟に目をみはりながら、石床《いしどこ》をけって立った。聖者は気高く後姿を見せて、しずかに歩む。博士はその姿を見失うまいとして、後を追っていった。そのとき気がついたことは、新月は既に西の地平線に落ちて、あたりは濃い闇の中にあったことである。しかもふしぎに、聖者の後姿と、通り路とは、はっきり博士の目に見えているのだった。
 博士は聖者アクチニオ四十五世について城壁の上をずんずんと歩いていくうちに、いつしかトンネルの中にはいっているのに気がついた。うす暗い、そして奥が知れない、気味のわるいトンネルであった。トンネルの道は、自然に下り坂になって、今歩いているところは既に地下へもぐってしまったらしく、ぷーンとかびくさい。
 どこからともなく、黄いろのうす明りがさし、トンネルの中の有様を見せてくれる。トンネル内は、通路が主であるが、ところどころそれが左右へひろげられて大小の部屋になっていた。そしてその部屋には、土や石で築《きず》いた寝台のようなものがあり、壁にはさまざまの浮《う》き彫《ぼ》りで、絵画や模様らしきものや不可解《ふかかい》な古代文字のようなものが刻《きざ》まれてあった。
 聖者はずんずんと奥へはいっていったが、そのうちに、一つの大きな丸い部屋のまん中に見えているりっぱな大理石の階段を下りていった。博士も、もちろんあとに従った。
「あ……」
 博士は、階段を途中まで下りて、その下に見えて来た地下房《ちかぼう》の異様な光景に思わずおどろきの声を発した。
 そこには、意外にも、たくさんの人が集っていた。そのほとんど皆が、壁にもたれて立っていた。みんなやせていた。そして燻製《くんせい》の鮭《さけ》のように褐色《かっしょく》がかっていた。
 既に下り切っていた聖者が、治明博士の方へふり向いて、早く下りて来るようにとさし招いた。
 今は、博士は恐ろしさも忘れ、下りていった。
 聖者アクチニオ四十五世は、自分の前において、壁にもたれているミイラのような人間を指し、
「わが弟子《でし》たりしロザレの遺骸《いがい》である。これを汝《なんじ》にしばらく貸し与える
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