たその太い声は、いまや引金を引こうとする「折れた紫陽花」の精神を乱すのに充分だった。声にのまれて思わずハッとするところへ、右手が後へねじられて、手首がピーンと痺《しび》れた。ゴトリと向うの壁際で鳴ったのは彼の手首を離れて飛んでいった拳銃《ピストル》だったろう。
 一体何者だ?
 帆村が意外の出来ごとに面喰らっているところへ、怪漢は飛びこんで来た、そして彼の身体を「右足のない梟」から引離すと、そのまま肩に引き担《かつ》いで、飛鳥《ひちょう》のように室を飛び出した。そして入口の扉《ドア》をピタリと鎖《とざ》し、ピーンと鍵をかけた。
 帆村を背負った怪漢は何処へゆく?


   漫画の暗号


 怪漢の肩に担がれた探偵帆村は、多量の出血のために頭がボンヤリしていた。ときどき頭が柱か壁のようなものにドカンと衝突すると、ハッと気がつくのであった。あるときは階段をガタガタ駈けのぼっているようだし、あるときは狭いトンネルのような中をすれすれに潜《くぐ》りぬけていたようだった。それ等はほんの瞬間の記憶だけで、あとはまた精神が朦朧《もうろう》としてしまって覚えがない。
「さあ、もう大丈夫!」
 そういう声がして、彼はドンと地上に下ろされたところで、再び意識が戻った。たいへんに冷い土の上であった。ピューピューと寒い風が吹きつけるので、彼はワナワナと慄えだした。
「さあ、もう安全なところまで来ましたよ、帆村さん」そういって怪漢は、帆村の破れた服をソッと合わせながら、
「さあ、それでは私はお暇《いとま》しますよ。では」
「待って下さい」
 と帆村は苦痛を怺《こら》えながら叫んだ。
「き、君は誰です、僕を助けて下すって……」
「いいえ、お礼はいりませんよ。私は貴方《あなた》に助けてもらったことがあるので、ちょっと御恩がえしをしただけです。そういえばお分りでしょう」
「分らない、誰!」
「誰でもいいじゃありませんか。私はすぐ姿を隠さねばなりません。――」
「ちょ、ちょっと待って」
 と云って帆村は半身を起しかけたが、「あッ痛い」と、またもや地上にゴトリと倒れてしまった。そして昏々《こんこん》として睡ってしまった。
 それから後、どの位の時間が流れたかしれない。帆村が再び正気にかえったときにはあたりはもうかなり明るかった。彼は元気を盛りかえして身を起した。激しい疼痛《とうつう》が、彼の神経をチク
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