のであった。
 その頃、松吉は家の中で、まるで熟柿《じゅくし》のようにアルコール漬けになってはいたが、その本心はひどく当惑していた。その原因は、膳を距《へだ》てて、彼の前に座を占めている真々川化助《ままかわばけすけ》に在った。


     7


 化助は、深酔に青ざめた顔をグッと松吉の方に据え直しながら、ネチネチと言葉を吐くのであった。
「おう……俺を見忘れたか。手前なんかに胡魔化《ごまか》される俺と俺が違わあ……どうだ、話は穏かにつけよう。あの青二才から捲き上げた金を五十両ほど黙って俺に貸せッ」
 松吉は、顔一杯を顰《しか》めて、グニャリとした手をブランブランと振りながら、
「こら化助。お前はとんだ思い違いをしているぞ。この儂は、まだ鐚《びた》一文も、四郎から受取っちゃ居ねえのだ。これは本当だ」
「嘘をつけッ、このヒョットコ狸め! 誰がそれを本当にするものかい」
「……だから手前は酔っているんだ。……お前も知ってのとおり、四郎に請負った仕事は、たった一ヶ所だけ済んだばかりだ。約束どおり、あと二ヶ所の約束を果さなきゃ、四郎の実験は尻切れ蜻蛉《とんぼ》になるちゅうで、つまりソノ……お金は全部終らなきゃ、儂のところへは、わたらぬことになっとるじゃア! な、分ったろう」
「うまく胡魔化しやがる。……それは、ほ、本当かい」
「本当だとも、あと二ヶ所だ。……それが全部済んだら、きっと呑ましてもやるし、今云った金子《きんす》も呉れてやる。……」
「呉れてやるとは、ヘン大きくお出でなすったなア……だ。……じゃ松テキ、その約束を忘れるなよ。忘れたり、俺を袖なんぞにして見ろ。そのときは警察に罷《まか》り出で、おおそれながら、実は松テキの野郎と長い竹竿を持ちまして、町内近郊をかくかく斯様《かよう》でと。……」
「コーラ、何と云う。……」
 松吉は矢庭に化助の後にとびかかって、その口を押えようとする。化助は、何を生意気なと後を向いて噛みついてくる。そこで膳部も襖《ふすま》も壁もあったものではない落花狼藉《らっかろうぜき》!
 そこへヒョックリと、北鳴四郎が入ってきた。
「松吉さんは、御在宅かネ」
「ホーラ、誰か来た」というので、まず立ち上って狼狽を始めたのは前科四犯の真々川化助だった。彼はグッタリしている松吉を助け起してその胸ぐらを一と揺《ゆす》ぶりして、呼吸のあるのを確めた上、裏口
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