かにこの切抜帳は、りっぱな戦車博物館である。第一号館は、もう頁《ページ》が残り僅《わず》かであった。
(やあ、もう陳列場所が、いくらもあいていないぞ。近いうち、第二号館の建築に、とりかからなくては……)
 一郎は、なかなか忙しい身の上だ。
 さて、「第一号館」を、いくども、ひっくりかえしてみたが、そこにある戦車は、いずれも地上を駆《か》ける戦車ばかりであった。こいつを、このまま、地下へはこび入れても、さっぱり前進させることができないことは、明白であった。
「はて、これだけ、りっぱな戦車がたくさんあっても、参考になるものは一つもないぞ」
 一郎は失望を禁ずることができなかった。
 全く、いやになってしまった。彼は、ごろんと、うしろにたおれて、ぼんやり考えこんでいたが、そのうち、ふと、誰かのいったことばを思い出した。
“欧米など、外国の工業に依存していたのでは、日本にりっぱな工業が起るわけがない。はじめは苦しいし困るかもしれないけれど、日本は日本で一本立ちのできる独得の工業をつくりあげる必要がある。それは一日も早く、とりかからなくてはならないことだ!”
 一郎は、むっくり起き上った。
「そうだ。真似をすることなら、猿まわしのお猿だって、うまくする。よし、自分で考えよう!」
「なにを、ひとりごとをいっているの、兄《にい》ちゃん」
 後で一番とし下の弟の二郎の声がした。
「二郎、だまっておいでよ」
「いやだい。兄ちゃん、いくよ。お面《めん》!」
 ぽかりと、一郎の頭に、新聞紙をまいてつくった代用品の竹刀《しない》が、ふりおろされた。
「ああッ、いたい!」
 一郎は、とび上った。なんとまあ、災難《さいなん》な頭の瘤だろう。ちょうど、頭のてっぺんにある。弟までに、その痛いところを殴《なぐ》りつけられて……。
 だが、一郎は、逃げ足の早い弟を、追おうともしなかった。じつにそのとき、彼は、神様のお声をきいたように思ったのである。
「そうだ。係長さんが、“おい岡部、その瘤は、もぐらもちの真似をして、こしらえた瘤なんだろう”といった。そうだそうだ。僕は、なにをおいても、自分が地下戦車になったつもりで、まず自分で穴を掘ってみよう。それがいい」
 彼は、えらいことを悟《さと》った!


   人間地下戦車


 次の日から、一郎の生活が一変した。
 彼は、朝早く起きると、例の手習いをすませ、その後で、この寒いのに、シャツとパンツとだけになって、庭におりた。
「さあ、僕は地下戦車だぞ。どこから、もぐるかなあ」
 彼の手には、シャベルが握られていた。
「さあ地下戦車前進!」
 彼は自分で、自分に号令をかけた。そして、えっさえっさと懸《か》け声《ごえ》をして、シャベルで、庭の土を掘りだした。
 弟の二郎が、その声をききつけて、とんできた。
「兄ちゃん。そこを掘ってどうするの。畑をこしらえて、お芋《いも》を植えるの」
「ちがうよ」
「じゃあ、ううッ、西瓜《すいか》を植えるの。玉蜀黍《とうもろこし》植えるの」
 二郎は、自分の大好きなものばかりを、かぞえあげる。
「ちがうよ、ちがうよ」
「じゃ、なにを植えるの。僕に教えてくれてもいいじゃないか。あ、分った。南京豆《なんきんまめ》だい。そうだよ、南京豆だい」
「ちがうちがうちがう。ああ、くるしい」
 一郎はふうふういって、泥だらけの手の甲《こう》で額《ひたい》を横なぐりに拭《ふ》いた。
「あ、兄ちゃんが顔を泥だらけにした。お母ちゃんに、いいつけてこようッと」
 二郎は、ぱたぱたと縁側《えんがわ》をはしっていった。一郎は、自分の掘った穴をみている。こんなにふうふういって、穴を掘ったのに、その穴は、やっと自分の頭が、入るくらいの大きさに過ぎなかった。
「この人間戦車は、性能が悪いなあ」一郎は、嘆息《たんそく》した。
 しかし、こんなことで、へたばっては、未来の地下戦車長もなにも、あったものではない。そう思った一郎は、再びシャベルを握ると、さらに大きな懸け声を出して、えっさえっさと、穴を掘っていった。
 ばたばたと、縁側《えんがわ》に、足音がした。
「まあ、一郎!」母親の、呆《あき》れたらしい声だった。
「ほらね、お母ちゃん。兄《にい》ちゃんの顔、あんなに、泥んこだよ」
「一郎、朝っぱらから、なにをしているのです」
「僕は今、……」いおうと思ったが、一郎は、そこで、あやうくことばを呑んだ。
(ああ、もうすこしで喋《しゃべ》るところだった。語るな、軍機《ぐんき》だ! たとえ、母親にだって)
「ちょっと、いえないの。国防上、秘密のことをやってやる[#「やってやる」はママ]んですからねえ」
「え、国防上秘密のこと?」
 母親は、聞きかえしていたが、やがて二郎の頭をなでて、
「二郎や。兄ちゃんは、防空壕《ぼうくうごう》を掘っているのだよ。出来たら、お前も入《い》れてお貰《もら》い」
 そういって、母親は安心して、奥に引込んでしまった。
(防空壕? ははあ、これが防空壕に見えるかなあ)
 防空壕をつくるにしても、一人では、たいへんである。シャベルをもつ一郎の両腕は、今にも抜けそうになってきた。しかし彼は頑張って、土と闘った。
 それでも二十分程かかって、やっと腰から下が入る位の穴が掘れた。
 彼は、疲れてしまって、自分の掘った穴に、腰をかけた。シャベルの先をみると、土とはげしく磨《す》り合《あ》ったために、鋼鉄が磨かれて、うつくしい銀色に、ぴかぴか光っていた。
 鉄と土との戦闘である――と、彼は、また一つ悟《さと》ったのであった。
 それから彼は、また頑張って、庭を掘りつづけた。ようやく、自分の体が入るだけの穴が出来たとき、また母親が顔を出した。
「一郎。もう三十分前だよ。会社へ出かけないと、遅くなりますよ」
「はい。もう、よします」
 人間地下戦車は、土を払って、立ち上った。
 さて、この調子では、いつになったら、本当の地下戦車が出来ることやら……。
 だが、この一見ばからしい土掘り作業こそ、後《のち》の輝かしい岡部地下戦車兵団出現の、そもそも第一|頁《ページ》であったのである。だが、今ここでは岡部将軍も只の一少年工に過ぎなかった。


   蘭丸《らんまる》と数値《すうち》


「係長さん、僕は、けさ、人間地下戦車になって、活動を開始しましたよ」
 岡部一郎は、会社へいってからお昼の休みの時間に彼をかわいがってくれる係長の小田さんに此《この》報告をした。
「なんだって。その人間なんとかいうのは、なんだね」
 係長さんは、鼻の下の小さい髭《ひげ》をこすりながら、一郎の顔をみた。
「人間地下戦車ですよ」
「人間地下戦車? なんだい、それは……」
 係長さんは、目をぱちぱちして、鼻の下をやけにこすった。この係長さんは、わからないことがあると目をぱちぱち、鼻の下をやけにこするくせがある。そうやると、頭がよくなって、理解力が出てくるらしい。
 そこで一郎は、けさ、うちの庭で、シャベルをもって、土を掘ったことや、母や弟から、防空壕をつくっているのだと思われたことを話した。
「……人間地下戦車は、だめですね。ほんのぽっちりしか、穴が掘れないのですもの……」
 と、一郎が残念そうにいうと、係長さんは「ふーん、それはまあ、そうだろうな」とうなずき、
「だが、岡部。ほんのぽっちりしか掘れなくても、もしもこれを毎日つづけて一年三百六十五日つづけたとしたら、どうだろう。計算してみたまえ」
「計算? 計算するのですか」
「そうだ。技術者というものは、すぐ計算をやってみなければいけない。多分このくらいだろうと、かん[#「かん」に傍点]だけで見当をつけるのは、よくないことだよ。技術者は、必ず数値のうえに立たなくちゃ」
 係長さんが、むつかしいことをいいだしたので、一郎少年は、わけがわからなくなった。
「数値のうえに立つとかいうのは、なんのことですか。石段の上でも、のぼるのですか」
「冗談じゃないよ。数値の上に立つというのが、わからないかね。岡部は森蘭丸《もりらんまる》という人を知っているかね」
「森蘭丸? 森蘭丸というのは、織田信長の家来《けらい》でしょう。そして、明智光秀が本能寺に夜討《ようち》をかけたとき、槍をもって奮戦し、そして、信長と一緒に討死《うちじに》した小姓《こしょう》かなんかのことでしょう」
「そうだ、よく知っているね。どこで、そんなことおぼえたのかね。ははあ分った。浪花節《なにわぶし》をきいて、おぼえたね」
「ちがいますよ。子供の絵本でみたんですよ」
「子供の絵本か。僕は浪花節で、おぼえたのだよ。あははは。――まあ、そんなことは、どうでもよい。その森蘭丸が、なかなか数値の上に立つ行《おこな》いがあったことを知っているか」
「知りませんねえ」
「じゃあ、話をしてやろう。信長が、或る日、小姓を集めていうには、お前たちの中で、もしも余の佩《は》いているこの脇差《わきざし》のつかに、幾本の紐《ひも》が巻いてあるか、その本数をあてたものには、褒美《ほうび》として、この脇差をつかわそう。さあ、誰でも早く申してみい。『はい』と答えて力丸《りきまる》ゥ……」
「係長さん、へんなこえを出さないでくださいよ。今、所長さんが、戸口から、じろっとこっちを睨《にら》んで通りましたよ」
「なあにかまやしないよ。別に悪いことをやっているんじゃない。これで三味線《しゃみせん》がはいると、わしゃ、なかなか浪花節をうまく語るんだがなあ」
「係長さん、どうぞ、その先をいってください」
「うむ、よしきた。『二十五本でございます』と、力丸《りきまる》はいった。『あはは、ちがうちがう、お前は落第だ。さあ、他の者!』こんどは坊丸《ぼうまる》が、『お殿さま、四十二本でござります』『ああそんな不吉の数じゃない。駄目駄目、さあ、お次』と、だんだん小姓たちに答えさせてみるが、一人として、これを当てるものがない。すると、残ったのが、森蘭丸、只一人じゃ。『蘭丸、お前はさっきから、黙っているが、あとはお前一人じゃ、早くこの脇差のつかをまいてある紐の本数をこたえろ』と信長の御催促《ごさいそく》があった。そのとき森蘭丸は、へへッと頭を下げ、『わたくしは、その答を仕《つかまつ》りません』という。信長、声をあららげ、『答えぬとは、無礼者。なぜに答えぬ。そちはこの脇差が欲しゅうないか』蘭丸つづいて平身低頭《へいしんていとう》いたし『おそれながら、申上げます。御脇差は、欲しゅうござれど、私はお答えいたしませぬ』『なぜじゃ、わけをいえ』『はい私は、その紐の本数を、存じ居《お》ります。実を申せば、お殿さま、厠《かわや》に入《い》らせられましたとき、私はお出を待つ間に、紐の本数を数え置きました。されば、私は存じ居《い》るがゆえに、お答えすることをば憚《はばか》ります』蘭丸は、仔細《しさい》を物語って、平伏《へいふく》した。――どうだ、聞いているかね」


   旅順戦《りょじゅんせん》の坑道《こうどう》


「ええ、聞いております。なかなか面白い浪花節的《なにわぶしてき》お話ですね」
「これからがいいところだ。よく聞いていなさい。――そこで信長公は、蘭丸の正直を非常にほめて、脇差を下し置かれた。実は信長公は、先ごろ厠《かわや》に入っていて、蘭丸が脇差の紐の本数を数えているのを隙間《すきま》から御覧になっていたのだ、そこで、わざとこういう質問を発して蘭丸の正直さをたしかめてごらんになったという話さ。どうだ、感心したか」
「感心しましたが、数値の上に立つというのは……」
「そこだよ。信長公は蘭丸が正直なのを褒《ほ》めて、脇差を下し置かれたと、浪花節ではいっているが、それは嘘だと思う」
「嘘ですか。では……」
「僕は、嘘じゃないかと[#「嘘じゃないかと」は底本では「嘘じゃないと」]思う。信長公は、こういって褒められた。『蘭丸、お前は数値の観念があって、感心な奴じゃ。何でも、物の数は、数えておぼえておけば、必ず役に立つ。大きくなって、軍勢を戦場に出してかけひきをするについても、まず必要なのは、作戦は常に
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