だことがあったが、それはどうやら本当らしい。
「お、お、おれは」と其の時まで独り黙っていた松山が苦しそうに呻《うめ》いた。「おれは頭が痛い。眩暈《めまい》がする。少し休みたい、ウウ」
そう云うと、彼は立ちあがり、フラフラと室《へや》を出ていった。
「いやに病人ばやりだな」と星尾が呟《つぶや》いて、意味なく笑った。
一本歯の抜けたような松山の空席《くうせき》が、帆村の眼に或る厭《いや》な気持をよびおこさしめた。それは不吉《ふきつ》な風景である。折角《せっかく》こうして探偵たる気持をわすれて麻雀を打ち、のうのうとした気分になっている筈の彼の心は、いつの間にか掻《か》き乱《みだ》されているのを感ぜずには居られなかった。四人の面子《メンツ》が坐っている筈《はず》の麻雀卓《マージャンテーブル》から、一人が立って便所に行ったりすることは、よくあることではないか。それに自分は何故、こんなことを気にしているのだろう。だが、ふりかえって此《こ》の倶楽部にきたときからのちのことを考えてみるのに、自分は競技に夢中になりたいと思っていながら、実際は隣の卓子の様子ばかりを気にしていたではないか。彼は、この室に入って来た最初に、川丘みどりが、便所に立ったらしく一度席をあけたのを思い出した。しかしそのときは別になんとも怪《あや》しむ気にはならなかったのであった。それに今はどうして、気になるのであろうか。空席は同じ一つだが、今の場合は、みどりが気分のわるい様子で、ふさいでいるのが気になるのではあるまいか。若しそうだとすると、或いは自分も、本気でみどりを恋してるのかしら――園部や、星尾や、松山などと同じように。
松山といえば、どうして彼は帰ってこないのであろう。なぜに川丘みどりが真蒼《まっさお》になってから、急に松山も頭が痛むなどと病気になったのであろうか。果して松山は病気なのかしら。帆村の脳髄のうちには、何時《いつ》の間《ま》にやら、さまざまの疑問が湧いているのに気がついた。いや、これは浅間《あさま》しい探偵という職業意識である。今夜は仕事を忘れて、ただ麻雀を打っているのではないか。つまらんことは考えまい。――
そのうちに、取りのこされていた星尾と園部とみどりの三人は、もう勝負を争うことをあきらめたものか、卓子を離れて、この室を出て行った。帆村探偵は、ようやく安易《あんい》な気持になって、競技に夢中になることができたのであった。
2
帆村探偵の卓子も、それから三十分ほどして、勝負が終った。最後の風に、莫迦あたりを取った彼は、二回戦で合計三千点ばかりを稼ぎ、鳥渡《ちょっと》いい気持になった。卓子を離れるときに、あたりを見廻すと、どの卓子もすでに客は帰ったあとで、白い真四角の布《クロース》の上に彩《いろどり》さまざまの牌《パイ》が、いぎたなく散らばっていた。時計を出してみると、もう十一時をすこし廻っていた。
隣りの広間《ホール》にも客はもう疎《まば》らだった。豊ちゃんが、睡そうな顔をして、近所の商店の番頭さんのお相手をしていた。
「豊ちゃん、さよなら」
「さよなら、センセ――じゃなかったホーさん」
「みんな、もう帰っちゃったかい」と、聞かでもよいことを帆村はつい訊《き》いてしまった。
「お嬢さんに、園部さんにシンチャンは、今帰るからって帰ったばかりよ。松山さんだけ奥に寝ている筈よ」
「ナニ、松山さんは本当に病気だったのか」
と帆村は、意外だという面持をした。
「あら、どうして? 気分がとても悪いんですって。お医者を呼びましょうかって、先刻《さっき》きいたんだけど、いらないって仰有《おっしゃ》ったのよ。シンチャン達、しばらく見ていなすったんですけれど、もう遅くなったし、帰るからあとを頼むって帰っちゃったんですわ」
「そりゃ、すこし薄情《はくじょう》だな」
「だってシンチャン達、遠いのよ。松山さんだけは、直ぐそこだから、そいでもいいのよウ」
と豊ッぺは、シンチャン達の郊外生活に同情ある弁明をこころみた。
「じゃ、僕、みてってやろうかな」
帆村探偵は、傍《そば》の小扉《ことびら》をあけて、小さな階段をコトコトと下《くだ》って行った。下《お》り切ったところが狭い廊下になっていて、そこにだだっ広《ぴろ》い室《へや》がある。そこは、この建物にいる皆の寝室だった。障子を開いてみると、果してそこに寝床が一つ敷いてあった。頭が痛いというのに、松山は頭から夜具《やぐ》をひっかぶって寝ていた。
「松山さん、松山さん、どうですか、気分は」
と帆村は、だんだん声を大きくしていったが、松山はウンともスンとも返事をしなかった。
(よく睡《ねむ》っている……)
帆村は、そっと障子をしめて踵《きびす》を二三歩、階段の方へ引返した。が、なにを考えたものか突然
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