どうも夢の話だというのに、あまり詳しく話をしすぎたようで、さぞ退屈だったろうと思う。要は、乃公《おれ》のみた夢というのが、いかにはっきりとしたものであり、そして不思議な現象を持っているかということを理解して貰いたかったのであった。
 乃公の夢は、以上の話だけで仕舞いではない。これからいよいよ、夢のミステリーについてお話したいと思うんだ。これから喋るところのものは、ぜひ聞いて貰いたいと思うのだよ。
 さてそれから幾日経ってのことか忘れたがね、乃公はまたもう一つの夢を見たのだ。
 ――長い廊下をふらふらと歩いている……というところで気がついたのだ。
 ――相変らず長い廊下だ。天井も壁も黄色でね、……
「ああ、いつかこの廊下へ来たことがある!」乃公はすぐ気がついた。それに気がつくと、いけないことに、途端にもう一つのことに気がついたのだった。
「……ああ、乃公は夢を見ているんだ、いま夢を見ているんだな」
 と――。
 ――乃公は努めて、なるべくこの前のときと同じ歩きぶりで、その廊下を歩いていった。忠実に同じような歩きぶりを示さないと、折角の夢が破れるといけないと思ったから……。
 やっぱりドーアを見ていった。左側の五つ目のところに、金色のハンドルがついているのを発見した。
「これだな」
 乃公はにやりと笑った。
 ――その金色のハンドルを廻して、室内へ入りこんだ。もちろん部屋の中も、前回等に見たと全く同じことさ。室の中央に赤い絨毯《じゅうたん》が敷いてあるし、その上には瀟洒《しょうしゃ》な水色の卓子《テーブル》と椅子とのセットが載って居り、そのまた卓子の上には、緑色の花活が一つ、そして挿《さ》してある花まで同じ淡紅色のカーネーションだった。
「ふ、ふ、ふ。ふっ。」
 乃公はおかしくなって笑い出したくなるのを、じっと怺《こら》えながら室の中央に進んだ。そこで奥の方を見ると、果して例の大鏡があったのではないか。乃公はすっかり安心して、たいへんに楽な気持になった。
(役者などいう職業も、毎日同じ道具立で、同じことを演《や》るのだから、乃公がいま感じていると同じことに、初日以後は、やるたびに楽になってくるんだろう)
 そんなことを思ったりした。
 ――乃公は例によって、いつの間にか大鏡の前に立っていた。そこに映る自分の姿をみると、例のとおり怒髪《どはつ》天《てん》をつき、髭は鼻の下をがっちりと固めているという勇ましい有様だった。
「どうぞお飲みものを……」
 と、男の声がうしろでして、振りかえってみるとちゃんと例の立派な顔の若い男が立っていた。その傍には、下を俯《うつ》むいている連れの若い女さえも、前回とは寸分たがわぬ登場人物だった。
 ――それから乃公は、順序に随って、卓子のとこへ帰って来た。そして洋酒の壜をあけて、盃へなみなみと注いだ。それをきっかけのようにして、背後で男女のひそひそと早口で語る声が聞えてきた。
 ――そこで乃公は、大いに憤慨した気持になって、洋盃の酒をぐっと一息にあおる。がちゃんと盃を卓子の上に叩きつけるようにして立ち上るや、ふらふらと大鏡の方へ歩いてゆく……。
 そこで乃公は、すこし薄気味が悪くなってきた、この前のひどく恐ろしかった印象が、まざまざと思いだされてきたからであった。あれから実にぞっとするようなことが起った。それは人殺しの場面を指して云うのではない。それよりもずっと前、この鏡の前に立って、自分の姿を映してみていると、自分の映った姿の方が、自分より先に動いているという。この眼にはっきりと映った異様なるあの有様……。
「あれだけは、実に恐ろしい」
 乃公の身体は小きざみに震えてきた。おそるおそる一挙一動を鏡にうつして見るのだった。
 ――ポケットの中から、シガレット・ケースならぬピストルを取り出す……。
 おお、それからだ!
 ――ピストルを握る手を、じりじりと胸の方へ上げてゆく。……じりじりと上げてゆく。
「はてな、……今日はよく合っているぞ」
 乃公は期待した異常が今日は認められないのに、ほっと息を吐いた。しかしいつ急にありありと、二つの像が分裂をはじめないとも限らない……。
「ああ、大丈夫だ」
 乃公は嬉しさと安心のあまり、声をあげようとしたほどだった。正しく異常はなかった。その途中わざと腕を上下へ動かしてみたが、実物と像とは、シンクロナイズしたトーキーのように、すこしも喰いちがいなく、同じ動作を同じ瞬間にくりかえしたのだった。
(この前のあの恐ろしい分離現象は、自分の心の迷いだったかしら!)
 そんな風に思ったが、いやそんなに深く考えることはいらなかったのだ。なにしろ夢の中の出来ごとではないか。いろいろと理窟に合わないこともできる筈である。原っぱの真中にいて、机がほしいと思えば、奇術のように、ぽっかりと机が飛びだしてくることも、夢の中だから、あったとて別に不思議はないのだ。
 ――銃口を左の肩にあてがい、狙いを定めて、静かに肩を左に廻してゆく。男と女とは、小声ながら、呼吸をはずませて云い争っている。若い女の、なんというか恨《うら》み死《じに》するような感能的な鼻声が聞えた。……
「そこだっ、――こん畜生!」
 乃公はピストルの引金をひいた。
 どーン。
「きゃーッ。……」
 魂切る悲鳴が、部屋をひき裂かんばかりに起った。
 ――見れば女は、片手で肩のあたりを抑えどうと絨毯の上に倒れたが、もう一方の腕をしきりに動かして、手あたりしだい掻き※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》っているのだった。
「どうしたんだろう?」
 乃公は不審に思って、射殺した筈の女の方へ近づいた。女はまだ死にきってはいなかった。しかし見る見る気力が衰えてゆくのがはっきりと判った。肩先にあてていた真赤な血の染《そ》んだ手が徐々に下に滑り落ちてゆくと、傷口がぱくりと開いて、花が咲いたように鮮血がぱっとふきだした。ひたひたと女の四肢が震えたかと思うと、やがてぐったりと身体を床に落として、そして遂に動かなくなってしまった。
「いやに深刻な最後を演じたもんだ」
 乃公はあざ笑いながら、近よって女の腰を蹴った。女は睡っているように、動かなかった。それから乃公は頭の方へ廻って、女の顔を覗きこんだ。
「おや?」
 例の昔|識《し》りあった愛人だとばかり思っていた乃公は、女の横顔をみてはっとした。
「人違い……だっ」
 乃公はハッと胸を衝《つ》かれたように感じたのだった。駭《おどろ》いて女の首を抱きあげて、その死顔を向けてみた。
「呀《あ》ッ、これは……」
 なんというひどい人違いをしたものだ。昔の愛人だとばかり思ったが、それが大違いで、その死体の女は、紛れもなく兄弟同様に親しくしている或る友人の妻君だったではないか!
「し、しまった!」
 乃公は思わず歯を喰いしばった。どうしてこれに気がつかなかったことであろう。その妻君を射殺してしまうなんて、人殺しという罪も恐ろしいには違いないが、それよりもかの親しい友人に、なんといって謝ったらばいいだろうか。
 その妻君は、実に感心な女なのだった。その連れあいというのが、乃公とは随分と親しい仲ではあったが、この頃だいぶん妙な噂を耳にするのであった。彼はなんでも、非常な高利で金を貸しつけて金を殖やしているそうだったし、たった一人、自宅で待っている妻君のところへもごく稀にしか帰って来なかった。妻君は心配のあまり、よく乃公のところへ来ては、いろいろ自分の到らないせいであろうからよくとりなしてくれるように、などといって、いつまでも畳の上にうっぷして泣いているという風だった。こんな人のよい、そして物やさしい女はないだろうと思った。それを一向知らないような顔付きで、うっちゃらかしておくその友人の気がしれなかった。
 そんなわけだから、乃公はたいへんその妻君に同情して、機会あるたびに彼女を慰《なぐさ》めてきたのだ。そのたびに妻君は、乃公を訪ねてきたときよりはいくぶん朗かになって帰ってゆくのだった。しかしこのごろかの友人は、自分の妻君と乃公の間を妙に疑っているらしい。それは実に莫迦《ばか》げた腹立たしいことだけれど、二人きりで幾度となく、同じ屋根の下に居たということが、禍《わざわ》いの種となっているのだった。それは実に困ったことだった。
「その問題の妻君を、乃公は手にかけて殺してしまったのだ。ああ、どうしよう」
 友人に会わす顔がない。殺した妻君には、さらに相済まない。それとともに、この事件によって、友人の妻君と乃公との間の潔白は、どうしたって証明することが出来なくなったのである。乃公は妻君の死体の傍に俯伏《うっぷ》して、腸をかきむしられるような苦痛に責めさいなまれた……。
「……ああ、なんたる莫迦だろう。乃公はいま夢をみて泣いているぞ」
 ふと、どこかで、自分が自分に云ってきかせる声が聞えた。なあんだ、ああこれは夢だったのだ。
 入口ががたりと開いて、どやどやと一隊の人が雪崩《なだれ》こんだ。その先登には、妻君の横にいた美男子がいたが、乃公の顔をみると、ぎょっと尻込《しりご》みをして、大勢の後に隠れた。
「神妙《しんみょう》にしろ!」
 警官の服を着ている一隊は、乃公に飛びかかって腕をねじあげた。乃公はいよいよこれから死刑になるのだなと思いながら、いと神妙に手錠をかけられたのであった。それから先は、さっぱり記憶がない。
 以上の二つの夢を聞いて、君はどう思うか。なんと不思議な話ではないか。あまりにはっきりしすぎている夢だとは思わないか。


     3


 静かな冬の朝だった。
 陽は高い塀に遮《さえぎ》られて見えないが、空はうららかに晴れ渡って、空気はシトロンのように爽《さわや》かであった。
 真白の壁に囲まれた真四角の室の中で、友人の友枝八郎は、また私に例の夢の話のつづきをするのであった。
 どうも乃公《おれ》は、ときどき頭が変になるので困るよ。年齢《とし》のせいでもあるまいのに、いろんなことを取り違えて困るのだよ。
 このまえ君に、夢の中で同じような人殺しを二度くりかえしてやったことを話したと思うけれど、どこまで話したのかも、第一忘れてしまった。二度目の分は、たしか乃公が刑務所の未決に繋《つな》がれてから話したように思うが、たしかそうだったね。
 それについてだが、乃公は滑稽な取違えをしていながら、それに気がつかないで、真面目くさって君に話をしたように覚えているがそうではなかったかね。実を云えばあの話をしているときには、君という人が夢でない方の現実の世界の人だとばかり思っていたのだ。しかしこうやって、例の殺人事件にかかわり、この刑務所の一室に相対しているところを見ると、君もまたあの夢の方の国に住んでいる人だということが判った。いままでどうしてそれに気がつかなかったろう。
 乃公はどうも話が下手で弱るんだ。いいかね、もう一度云うとこうだ。君に例の夢の中の殺人事件について話をした。ところが乃公は殺人罪で刑務所に入れられてしまったのだ。その刑務所へ君はしばしば訪ねてくれたではないか。すると殺人事件のあった世の中と君の住んでいる世の中とは、全く同じ世の中だったことが証明できるじゃないか。乃公は君に夢の国の殺人事件の話をした。しかも君は、乃公から云わせれば夢の国の人だったのだ。乃公にとっては、あの事件は夢の中の出来ごとだけれど、君にとっては、君が住んでいる世の中の出来ごとだったんだ。しかし、乃公はいま、夢の国の中で話をしているのだよ。……そんなことを先から先へ考えてゆくと、頭の悪い乃公には、いつも何方が何方だかわからなくなるのだ。あとは誰かの判断に委《まか》せて置くことにして、――さて、あれから先のことを話そう。
 或るとき乃公は、さっきも云ったように、刑務所の未決に繋がれている自分自身を見出したのだ。その原因が例の大鏡のある部屋の殺人事件に関係していると知って、乃公は、
「まあ、何という長ったらしい夢を見ることだろう?」
 と呆《あき》れてしまった。
 後で聞いた話だけれど、そのと
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