彼はなんでも、非常な高利で金を貸しつけて金を殖やしているそうだったし、たった一人、自宅で待っている妻君のところへもごく稀にしか帰って来なかった。妻君は心配のあまり、よく乃公のところへ来ては、いろいろ自分の到らないせいであろうからよくとりなしてくれるように、などといって、いつまでも畳の上にうっぷして泣いているという風だった。こんな人のよい、そして物やさしい女はないだろうと思った。それを一向知らないような顔付きで、うっちゃらかしておくその友人の気がしれなかった。
そんなわけだから、乃公はたいへんその妻君に同情して、機会あるたびに彼女を慰《なぐさ》めてきたのだ。そのたびに妻君は、乃公を訪ねてきたときよりはいくぶん朗かになって帰ってゆくのだった。しかしこのごろかの友人は、自分の妻君と乃公の間を妙に疑っているらしい。それは実に莫迦《ばか》げた腹立たしいことだけれど、二人きりで幾度となく、同じ屋根の下に居たということが、禍《わざわ》いの種となっているのだった。それは実に困ったことだった。
「その問題の妻君を、乃公は手にかけて殺してしまったのだ。ああ、どうしよう」
友人に会わす顔がない。殺した妻君には、さらに相済まない。それとともに、この事件によって、友人の妻君と乃公との間の潔白は、どうしたって証明することが出来なくなったのである。乃公は妻君の死体の傍に俯伏《うっぷ》して、腸をかきむしられるような苦痛に責めさいなまれた……。
「……ああ、なんたる莫迦だろう。乃公はいま夢をみて泣いているぞ」
ふと、どこかで、自分が自分に云ってきかせる声が聞えた。なあんだ、ああこれは夢だったのだ。
入口ががたりと開いて、どやどやと一隊の人が雪崩《なだれ》こんだ。その先登には、妻君の横にいた美男子がいたが、乃公の顔をみると、ぎょっと尻込《しりご》みをして、大勢の後に隠れた。
「神妙《しんみょう》にしろ!」
警官の服を着ている一隊は、乃公に飛びかかって腕をねじあげた。乃公はいよいよこれから死刑になるのだなと思いながら、いと神妙に手錠をかけられたのであった。それから先は、さっぱり記憶がない。
以上の二つの夢を聞いて、君はどう思うか。なんと不思議な話ではないか。あまりにはっきりしすぎている夢だとは思わないか。
3
静かな冬の朝だった。
陽は高い塀に遮《さえぎ》られて見えないが、空はうららかに晴れ渡って、空気はシトロンのように爽《さわや》かであった。
真白の壁に囲まれた真四角の室の中で、友人の友枝八郎は、また私に例の夢の話のつづきをするのであった。
どうも乃公《おれ》は、ときどき頭が変になるので困るよ。年齢《とし》のせいでもあるまいのに、いろんなことを取り違えて困るのだよ。
このまえ君に、夢の中で同じような人殺しを二度くりかえしてやったことを話したと思うけれど、どこまで話したのかも、第一忘れてしまった。二度目の分は、たしか乃公が刑務所の未決に繋《つな》がれてから話したように思うが、たしかそうだったね。
それについてだが、乃公は滑稽な取違えをしていながら、それに気がつかないで、真面目くさって君に話をしたように覚えているがそうではなかったかね。実を云えばあの話をしているときには、君という人が夢でない方の現実の世界の人だとばかり思っていたのだ。しかしこうやって、例の殺人事件にかかわり、この刑務所の一室に相対しているところを見ると、君もまたあの夢の方の国に住んでいる人だということが判った。いままでどうしてそれに気がつかなかったろう。
乃公はどうも話が下手で弱るんだ。いいかね、もう一度云うとこうだ。君に例の夢の中の殺人事件について話をした。ところが乃公は殺人罪で刑務所に入れられてしまったのだ。その刑務所へ君はしばしば訪ねてくれたではないか。すると殺人事件のあった世の中と君の住んでいる世の中とは、全く同じ世の中だったことが証明できるじゃないか。乃公は君に夢の国の殺人事件の話をした。しかも君は、乃公から云わせれば夢の国の人だったのだ。乃公にとっては、あの事件は夢の中の出来ごとだけれど、君にとっては、君が住んでいる世の中の出来ごとだったんだ。しかし、乃公はいま、夢の国の中で話をしているのだよ。……そんなことを先から先へ考えてゆくと、頭の悪い乃公には、いつも何方が何方だかわからなくなるのだ。あとは誰かの判断に委《まか》せて置くことにして、――さて、あれから先のことを話そう。
或るとき乃公は、さっきも云ったように、刑務所の未決に繋がれている自分自身を見出したのだ。その原因が例の大鏡のある部屋の殺人事件に関係していると知って、乃公は、
「まあ、何という長ったらしい夢を見ることだろう?」
と呆《あき》れてしまった。
後で聞いた話だけれど、そのと
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