まま、手をヤヨイ号の残骸《ざんがい》の方へのばし、
「あれは一体なんだ。大きな音をたてて、空から落ちたが、お前たちの国は、空の上にあるのか」
「日本は、やはりこの地球のうえにあるが、ずっと東の方だ」
と、道彦は、はるかに日本の方をさして、
「しかし、われわれは空をとぶことができるのだ」
「空をとぶのは、鳥だ。鳥にのって、空をとぶとは、おどろいた」
「鳥ではない。飛行機という器械だ。われわれ人間が発明した器械だ」
といってやったが、その怪人には、器械ということがなかなかのみこめなかった。そこで道彦も、怪人が、今日の科学の発達を知らない人間であることをさとったが、それでもまだ、二十万年前の人間だとは考えられなかったので、
「ねえ、ほんとうに、氷河期を知っているのなら、そのときのことを話してみたまえ」
というと、かの怪人は、うなずいて、
「あれは、まったくおそろしかったよ。大空から、月が下がってきたのだ。月が下がってきてだんだん大きくなった」
「月が大きくなるって、どんなこと」
「あの小さい月のことだよ。それがだんだん下におりてきて、大きい月よりも、ずっと大きくなったのさ」
「ちょっと待った。話をきいていると、それは火星のことじゃないの。火星には、月が二つあるが、われらの地球には、月が一つしかないじゃないか」
「あれっ、あんなことをいってらあ」
と、その怪人は、あきれたように道彦をながめ、
「君は知らないのだろうか。わしは、この地球に、二つの月があったことを、ちゃんと知っている。今話しているのは、その小さい月がなくなって、大きい月だけがのこるという話さ」
怪人はじつにへんなことをいいだした。
おそろしき光景《こうけい》
「信じられないなあ。地球に月が二つあって、その一つがなくなったなんて」
と、道彦は、いいかえした。
「だって、月が一つなくなったればこそ、地球の上が氷でもって閉《と》じこめられたのさ」
ふしぎな話であった。そんなことがあっていいものか。
怪人は、ことばをついで、
「その小さい月が、だんだん下に下りてきてよ、とうとうしまいには、海の水にたたかれるようになったのさ。わしも、それは見たがね。すごい光景《こうけい》だったねえ。月が近づくと、海は大あれにあれて、浪《なみ》は大空へむけて、山よりも高くもちあがるのさ」
「え、ほんとうかね」
「知らない者には、そのものすごさが、わからないよ。そして下がってきた月は、浪に洗われるんだ。そして、そんなことがくりかえされているうちに、小さい月は、浪のため、けずりとられ、こなごなの灰となって、空中にとびちった。その灰がたいへんな量だ。空は、その灰のためまっ赤になり、やがてだんだんまっ黒になっていった」
怪人は、空を見あげながら、そのときを思い出してか、おそろしさに肩をふるわせ、
「……はじめは、赤く見えていた太陽も、だんだん空中にひろがるものすごい月のかけらの層《そう》にさえぎられ、やがて、とうとうわれらの眼に見えなくなった。世の中は、まっくらになった。日蝕《にっしょく》どころではない。何十日何百日、いや何十年何百年と、まっくらになったのだ。太陽の光が、さっぱり地上へとどかなくなったものだから、地球の表面は、急に冷えだした。そして氷河期が来たのだ。地球のうえをあつい氷がおおいかくしたのだ。ああ、大自然《だいしぜん》の力は、おそろしい」
怪人は、両手で、われとわが胸をしめつけた。
「……われら一部のモリアン族は、はやくも先を見とおし、さっきもいったように寒冷《かんれい》をふせぐ用意をし、食物をたやさない準備をして、山奥の穴の中にこもったので、ようやくたすかったのだ。いや、たすかって、今日まで生きのびたのは、わしひとりだが……」
道彦の眼は、いつしか熱心にかがやいて、怪人の顔を見つめていた。二十万年前の人類が、どうして今、生きているかふしぎでならないけれど、この怪人の物語《ものがた》る氷河期前後のようすは、どこかで聞いたような話であり、たしかにりくつにあっているのであった。
「さっき、氷から出てきたといったが、氷の中に閉《と》じこめられていたの」
道彦がたずねた。
「そうだ。そんなに用心していたが、だんだんと、寒さが上から下にさがってきて、地下水《ちかすい》がこおりだしたのだ。穴が浅いために、多くの人間は、水びたしになったまま、氷の中に閉じこめられた。わしもその一人だった。しかし、この間、ふと気がついたら、顔の上の氷がとけていたんだ。おどろいたねえ」
「まさかねえ」
「君は、わしのいうことを信用しないと見える。じゃあ、わしが氷に閉じこめられていたところへあんないしてやろう。そこには、まだわしのからだのかっこうがついているくぼんだ氷があるから、それを見ればほんとうにするだろう。さあ、行ってみよう」
道彦はまさかと思ったが、怪人が、あまり熱心にすすめるものだから、一しょにいくことにした。怪人は先に立って、たくみに氷の崖《がけ》をおりていった。ときには、道彦をだいてくれたりした。
「ほら、もう、ここからだって、見えるのだ。あの谷底《たにそこ》を見たまえ。わしのからだの形がのこっているじゃないか」
「どこ?」
「ほら、この指の先を見たまえ」
道彦は、怪人の指す方を見た。どこだかよくわからない。岩かどをにぎっている指先が凍《こお》りついて痛くなった。その痛みは、指先から全身へひろがっていった。やがて、頭がきりきり痛み、そして耳ががんがん鳴りだした。目が見えなくなった。
(あっ、あぶない!)
と、道彦は、根《こん》かぎりに叫《さけ》んだ。
「おい、どうした。道彦!」
彼の名をよぶものがある。
はっと思って、道彦は眼をあいた。すると、そばに、木谷博士の顔が、にこにこと、彼をのぞきこんでいた。
「お前が、あまりうなされているものだからなあ。なにか夢を見ていたね」
夢? 気がつくと、飛行機は、エンジンの音もすこぶる快調に、おだやかに飛んでいるではないか。
「先生、これは何号《なにごう》ですか」
「何号? ヤヨイ号じゃないか」
「ああ、やっぱりヤヨイ号か。――ああ、よかった」
「なにが、よかったって」
博士にきかれて、やむなく道彦は、ヤヨイ号の遭難《そうなん》のことや、氷河期の怪人があらわれたことなどを話した。
すると博士は、笑いながらうなずいて、
「ああ、そうか。ヤヨイ号は、ぶじに雲をぬけて、ヒマラヤ山脈は、もうはるかうしろになってしまったよ。それから、お前が、氷河期の夢を見たのは、ヒマラヤの雪山を見て、現に今もあそこに残っている氷河のことを思いだしたからだろう。それから氷河期はなぜ来たかというその怪人の話は、この前、わしがお前に話してやった最近の学説そっくりじゃないか。あはははは」
博士は、おかしくてたまらないというように、腹をおさえて笑った。
「そうだ、あの怪人は、わしは氷河期時代の人間だなどとみょうなことをいったっけ。あそこで、これは夢だなと、気がついてよかったはずだったのに」
道彦もおかしくなって、げらげらと笑いだしたが、その笑いはなかなかとまらなかった。
底本:「海野十三全集 第7巻 地球要塞」三一書房
1990(平成2)年4月30日第1版第1刷発行
※「石期時代」と「石器時代」の混在は、底本通りにしました。
入力:tatsuki
校正:浅原庸子
2002年10月21日作成
2003年5月11日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング