うに云いました。「足が不自由だから、簡単に飛べるような発明をしたと考えてはどうかネ」
「ほほう、君もどうやら事件のあったことを信用して来たようだネ」と警部は微笑《びしょう》しながら「だが兎《と》に角《かく》、当面の相手は何とも説明のつけられない変な生物《いきもの》が居るらしいことだ。そいつ等の人数は大約《おおよそ》十四五人は発見されたようだ。それも果して生物なのだか、それとも博士の発明していった何かのカラクリなのだか、これから当ってみないと判らない。博士の行方《ゆくえ》が判ると一番よいのだが、とにかく様子はこの少年の話で判ったから、一つ皆で天文学者谷村博士|邸《てい》を捜査《そうさ》し、一人でもよいからその訳のわからぬ生物を捕虜《ほりょ》にするのが急務《きゅうむ》である。判ったネ」
「判りました」「判りました」と凡《およ》そ二十人あまりの警官隊員は緊張した面《おもて》を警部の方へ向けたのでした。彼等はいずれも防弾衣《ぼうだんい》をつけ、鉄冑《てつかぶと》をいただき、手には短銃《ピストル》、短剣《たんけん》、或いは軽機関銃《けいきかんじゅう》を持ち、物々しい武装に身をととのえていました。これだけの隊員が一度にドッと飛びかかれば、流石《さすが》の妖怪たちも忽《たちま》ち尻尾《しっぽ》を出してしまうことであろうと、大変|頼《たの》もしく感ぜられるのでした。


   怪物《かいぶつ》の怪力《かいりき》


「では出動用意」警部は手をあげました。「第一隊は表玄関より、第二隊は裏の入口より進む。それから第三隊は門内《もんない》の庭木の中にひそんで待機をしながら表門を警戒している。本官とこの少年は第一隊に加わって表玄関より進む。――よいか。では進めッ!」
 警官はサッと三つの隊にわかれ、黙々《もくもく》として敏捷に、たちまち行動を起しました。
 私はすっかり元気になって、第一隊の先頭に立ち、表玄関を目懸《めが》けて駈け出しました。
「オイ少年、静かに忍びこむのだよ」
 たちまち注意を喰いました。そうです、これは戦争じゃなかったのでした。あまり活溌《かっぱつ》にやると、妖怪たちは逃げてしまうかも知れません。
 玄関は静かでした。訓練された七名の警官は、まるで霧のように静かに滑《すべ》りこみました。階下の廊下は淡《あわ》い灯火《とうか》の光に夢のように照らし出されています。気のせいか、黄色い絨氈《じゅうたん》が長々と廊下に伸びているのが、いまにもスルスルと匍《は》い出しそうに見えます。
 そのとき私の腕をソッと抑《おさ》えた者があります。ハッと駭《おどろ》いて振りかえると、何のこと白木警部です。
「怪物のいる部屋は何処かネ」
 と警部は私の耳に唇を触《ふ》れんばかりに囁《ささや》きました。
「……」
 私は無言のまま、すぐ向うの左手の扉《ドア》を指《さ》しました。老婦人を囲んで、怪《あや》しげなる服装をつけた頭のない生物が、蜥蜴《とかげ》のように蠢《うご》めいているところを又見るのかと思うと、いやアな気持に襲《おそ》われて参《まい》りました。
 警部は首を上下に振《ふ》って大きい決心を示しました。「懸《かか》れッ!」サッと警部の手が扉《ドア》の方を指しました。
 黒田巡査が最先《まっさき》に飛び出して、扉の把手《ハンドル》に手をかけると、グッと押しました。
「オヤ、あかないぞ」
 ウーンと力を入れて体当りをくらわせてみましたが、どうしたものかビクとも開かないのです。
「警部どの、これァ駄目です」
「扉《ドア》を壊《こわ》して入れッ。三人位でぶつかってみろ」
 三人の逞《たくま》しい警官が、たちまちその場に勢ぞろいをすると、一、二イ、三と声を合わせ、
「エエイッ」
 と扉にぶつかりました。グワーンと音がするかと思いの外《ほか》、呀《あ》ッと叫ぶ間もなく、扉はパタリと開き、三人の警官は勢《いきお》いあまってコロコロと球でも転《ころ》がすように、室内に転げ込みました。どうやら鍵は懸《かか》っていなかったものらしいのです。
 一同は思いがけぬことに、ちょっとひるんで見えましたが、
「それ、捕縛《ほばく》しろッ」
 と警部が激励《げきれい》したので、ワッと喚《わめ》いて室内に躍《おど》りこみました。そこには予期《よき》していたとおり、頭のない洋服を着た怪物がゾロゾロと匍《は》いまわっていました。
「ウム」
 とその一つに手をかけるとたんに、ピシリとひどい力で叩かれました。警官は呀《あ》ッと顔をおさえたまま尻餅《しりもち》をつきましたが、叩かれたところは見る見る裡《うち》に紫色に腫《は》れ上ってきます。
 あっちでもこっちでも、警官が宙《ちゅう》に跳《は》ねとばされています。壁へ叩きつけられて気絶《きぜつ》をするもの、ガックリと伸びるものなどあって、形勢は不利です。
 ピリピリピリピリ。
 もうこれまでと、警部は非常集合の警笛をとって、激しく吹き鳴らしました。
 素破《すわ》一|大事《だいじ》とばかりに裏門の一隊と、表門に待機していた予備隊《よびたい》とが息せききって駈《か》けつけました。
 警部はその二隊を、問題の室には向けず、階段の影に集結しました。この上|乱闘《らんとう》をしてみたって、あの怪物には到底《とうてい》歯が立たないことを悟《さと》ったからでしょう。
「機関銃隊《きかんじゅうたい》、配置につけッ」
 たちまち階段の影に三挺の機関銃を据《す》えつけました。しかし引金を引くわけにはゆきません。向うの室では、味方の警官も苦闘《くとう》をつづけていれば、老婦人もどこかの隅《すみ》にいるかと考えられるからです。唯一つの機会は、室から外へ出てくる怪物があれば、この機関銃から弾丸《だんがん》の雨を喰《く》らわせることが出来ます。
「うーむ、今に見ていろ」
 警部は自暴自棄《じぼうじき》で、苦闘している部下のところへ飛びこんでゆきたいのを、じっと怺《こら》えていました。それは犬死《いぬじに》にきまっていますが見す見す部下が弱ってゆくのを眺めていることは、どんなにか苦しいことでしょう。戦いの運はもう凶《きょう》のうちの大凶《だいきょう》です。


   鬼影《おにかげ》を見る


「呀《あ》ッ、出て来たッ」
 果然《かぜん》、モーニング・コートを着て、下には婦人のスカートを履《は》いた奴《やつ》が、室の入口からフラフラと廊下の方に現れました。生《い》け捕《ど》りにはしたいのですが、こう強くてはもう諦《あきら》めるより外《ほか》はありません。死骸《しがい》でも引き擦《ず》って帰れると、成功の方かも知れません。
「撃《う》ち方《かた》ァ始めッ」
 ダダダダダダダダーン。
 ドドドドドドドドーン。
 銃口からは火を吹いて銃丸が雨霰《あめあられ》と怪物の胴中《どうなか》めがけて撃ち出されました。
「この野郎、まだかッ」
 バラバラと飛んでゆく弾丸は、黒いモーニングの上にたちまち白い弾丸跡《たまあと》を止《と》め度《ど》もなく綴《つづ》ってゆくのでした。とうとう洋服の布地《ぬのじ》の一部がボロボロになって、銃火《じゅうか》に吹きとばされました。
 怪物の腹のところに、ポカリと大きい穴があきました。それだのに怪物は、悠々《ゆうゆう》と廊下を歩いているのです。
「あの怪物には、身体も無いぞ」
 誰かが気が変になったような悲鳴をあげました。なるほどモーニングの大きい穴の向うには、背中の方のモーニングの裏地《うらじ》が見えるばかりで中はガラン洞《どう》に見えました。こんな不思議な生物があるのでしょうか。
「あれは洋服だけが動いているのじゃないだろうか」
 一人の警官が、いくら雨霰《あめあられ》と飛んでゆく機関銃の弾丸《たま》を喰《く》らわせてもビクとも手応《てごた》えがないのに呆《あき》れてしまって、こんなことを叫びました。しかしその証明は、立《た》ち処《どころ》につきました。というのは、破れモーニングの怪物が、こんどはノソノソと、機関銃隊の方へ動き出したのです。
 ビュン、ビュン、ビュン、ビュン。
 異様な音響を耳にしたかと思うと、そのモーニングはサッと走り出しました。呀《あ》ッと一同が首をすくめる遑《ひま》もあらばこそ、機関銃がパッと空中に跳《は》ねあがり、天井《てんじょう》に穴をあけると、どこかに見えなくなりました。
「これはいかん」
 と思う暇もなく、一同の向《むこ》う脛《ずね》は、いやッというほどひどい力で払《はら》われてしまいました。
「うわーッ」
 警部と私とが助かったばかりで、あとは皆将棋だおしです。もう起きあがれません。警官隊は全滅《ぜんめつ》です。
 モーニングの怪物はと見てあれば、フワフワと開《あ》け放《はな》された玄関に出てゆきました。玄関には入口の扉の影だけが、月光に照らされて三角形の黒い隈《くま》をつくっています。
 怪物はその扉の向うへ出てゆきました。出て行ったと思う間もなく、玄関の厚い硝子戸《ガラスど》にモーニングの影がうつりました。
「おお、あれを見よ、あれを見よ」
 警部さんは生きた心地もないような慄《ふる》え声《ごえ》で叫びました。
 おお、それは何という物凄《ものすご》い影でしょうか。硝子戸に月が落《お》とした影は、モーニングだけの影ではなかったのでした。稍《やや》淡《あわ》い影ではありましたが、モーニングの上に、確かに首らしいものが出ています。その頭がまた四斗樽《しとだる》のように大きいのです。
 モーニングの袖からも手らしいものが出ていますが、それが不釣合《ふつりあい》にも野球のミットのような大きさです。
 いやもっと駭《おどろ》くことがあります。
 その大きい頭部が、見る見るうちに角《つの》が出たり、二つに分かれたり、そうかと思うとスーッと縮《ちぢ》んで小さくなったり、その気味《きみ》の悪さといったらありません。なんと形容して云ったらよいか。
 ああ、そうだ。
「崩《くず》れる鬼影《おにかげ》!」
 影が崩れる、鬼の影――というのは、これなのです。私は背中に冷水を浴びたように、ゾーッとしてきました。血が爪先《つまさき》から膝頭《ひざがしら》の辺までスーッと引いたのが判りました。一体これは何者でしょうか。
 鬼か、人か?
 妖怪屋敷《ようかいやしき》を照らす満月《まんげつ》の光は、いよいよ青白《あおじろ》くなって参りました。
 異変の夜は、まだいくばくも過ぎていないのです。
 続いて起ろうとする怪事件は、そも何か。


   警官の紛失《ふんしつ》


「化物は何をしているんでしょ。ねエ警部さん」
 と私は白木警部の腕を抑《おさ》えて云いました。
「なんだか、ガタガタいってたのが、すこしも音がしなくなったようだネ」
 そういって警部は、注意ぶかく頭をもちあげて、戸口の方を、見ました。月光は相変《あいかわ》らず明るく硝子戸《ガラスど》を照らしていましたが、先刻《さっき》見えた怪《あや》しい鬼影《おにかげ》は、まったく見当りません。唯《ただ》空《むな》しく開いた入口の外は木立《こだち》の影でもあるのか真暗《まっくら》で、まるで悪魔が口を開《あ》いて待っているような風《ふう》にも見えました。
「さっき戸口がゴトゴト云ってたが、みな外へ逃げ出したのかも知れない」
 警部の声を聞きつけたものか、あちらこちらから、部下の警官が匍《は》いよってきました。
「警部どの。あれは一体人間なんですか」
「人間ですか。それとも人間でないのですか」
 部下のそういう声は慄《ふる》えを帯《お》びていました。
「さア、私《わし》にはサッパリ見当がつかん」
 警部も、今は匙《さじ》を投げてしまいました。それから沈黙の数分が過ぎてゆきました。その間というものは建物の中がまるで死の国のような静けさです。
「オイみんな。元気を出せ」と警部が低いが底力《そこぢから》のある声で云いました。「この機に乗《じょう》じて一同前進ッ」
 警部は左手をあげて合図《あいず》をすると、自《みずか》ら先頭に立ってソロソロと匍《は》い出しました。ゆっくりゆっくり戸口の方へ
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