鳴のする家は、漸《ようや》くに判りました。それは、向うに見えている大きい洋館でありました。二階の窓が開いて、何だか白い着物を着た女の人らしいものが、両手を拡げて救いを求めているようです。
「どこからあの家へ行けるんだろう」と兄が疳高《かんだか》い声で叫びました。
「ほら、あすこに門のようなものが見えていますよ」と私は道をすこし上った坂の途中に鉄の格子《こうし》の見えるのを指《ゆびさ》しました。
「うん。あれが門だな。よォし、駈け足だッ」
私達二人は夢中で草深い坂道を駈けあがりました。
「門は締っているぞ」
「どうしましょう」押しても鉄の門はビクとも動きません。
「錠《じょう》がかかっている。面倒だが乗り越えようよ。それッ」
二人はお互《たがい》に助けあって、鉄柵《てっさく》を飛び越えました。下は湿《しめ》っぽい土が砂利《じゃり》を噛《か》んでいました。私はツルリと滑って尻餅《しりもち》をつきましたが、直ぐにまた起上りました。
「オヤッ」
先頭に立っていた兄が、何か恐《こわ》いものに怯《おび》えたらしく、サッと身を引くと私を庇《かば》いました。兄は天の一角をグッと睨《にら》んでいます。私は何事だろうと思って、兄の視線を追いました。
「おお、あれは何だろう?」
私は思わず早口に独言《ひとりごと》を云いました。ああそれは何という思いがけない光景を見たものでしょうか。何という奇怪さでしょう。向うから白い服を着た男が、フワフワと空中を飛んでくるのです。それは全く飛ぶという言葉のあてはまったような恰好でした。私は何か見違《みちが》いをしたのだろうと思いかえして、両眼《りょうがん》をこすってみましたが、確かにその人間はフワリフワリと空中を飛んでいるのです。だんだんと其《そ》の怪《あや》しい人間は近づいて来ます。私は兄の腰にシッカリ縋《すが》りついていましたが、恐《こわ》いもの見たさで、眼だけはその人間から一|刻《こく》も離しませんでした。
「民《たみ》ちゃん、恐くはないから、我慢をしているのだよ」と兄は私の肩を抱きしめて云いました。「じッと動かないで見ているのだ。じッとしてさえ居れば、あいつは気がつかないで、僕たちの頭上を飛びこして行っちまうだろう」
「うん。うん」
私はやっと腹の底からその短い言葉を吐《は》きだしました。そのときです。怪しい人間が頭上五メートルばかりのところを、フワフワと飛び越しました。人間が飛ぶなんて、出来ることでしょうか。飛び越されるときに、なおもハッキリ下から見上げましたが、その怪しい人間は、寝台《しんだい》の上に乗ったように身体が横になっていました。手足はじっとしています。別に動かしもしないのに、宙を飛んでいるのです。どんな顔をしているかと見ましたが、生憎《あいにく》顔が上を向いているので、下からはよく見えません。しかし白い服と思ったのは、お医者さまがよく着ている手術着のようなものでした。
兄と私は、こんどは後から伸びあがって、飛んでゆく人の姿を見つめていました。白衣《びゃくい》の人は、尚《なお》もフワフワと飛びつづけてゆきます。そしてだんだん高く昇ってゆきます。深い谿《たに》が下にあるのも気がつかぬかのようにそこを越えて、やがて向うの杉の森の上あたりで姿は見えなくなってしまいました。私達は悪夢《あくむ》から覚《さ》めたように、呆然《ぼうぜん》と立ちつくしていました。
「不思議だ、不思議だ」
兄は低く呟《つぶや》いています。
そこへバタバタと跫音《あしおと》がして、年とった婦人が駈けてきました。さっき窓から半身を乗りだして救いを呼んでいたのは、この婦人でしょう。家の中からとびだして来たものです。
「ああ、貴方がた、主人はどこへ行ってしまったでしょう」
老婦人は紙のように蒼白《そうはく》な顔色をしていました。両手をワナワナと慄《ふる》わせながら、兄の胸にとびついて来ました。
「奥さん、しっかりなさい」と兄は老婦人の背をやさしく撫《な》でて言いました。
「あれは御主人だったのですか。向うの方へゆかれましたが、追駈けてももう駄目です」
「駄目でしょうか」婦人は力を落して、ヘナヘナと地上に膝《ひざ》をつきました。兄は直ぐに気がついて助け起しました。
「さあ奥さん。こうなれば私達は落付きをとりかえさなければなりません。詳《くわ》しいお話をうかがうことによって、一番いい方法が見つかることでしょう。しっかり気をとりなおして、一伍一什《いちぶしじゅう》を話して下さい」
「ああ、恐ろしい――」老婦人は顔に両手を当てると、何を思い出したのか、ワッと泣き出しました。
「奥さん、お家の中へお送りしましょう」
「ああ、家の中ですか。いえいえそれはいけません。家の中には、まだ恐ろしい魔物《まもの》が居るにきまっています。貴方
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